中根すあまの脳みその194

生半可な気持ちで、キッチンに入ろうとしてはならない。
能天気な気持ちでそこに立ち入ろうものなら、間違いなく足元をすくわれ、足に新たな青アザを増やすことになるだろう。

中根家のキッチンの入口にはトラップがある。ダンボールが並べられただけの、トラップ。犬の侵入を防ぐためのものである。きっと世には、それ用の、なにか柵のようなものが存在するのだろうが、うちにはダンボールくらいがちょうど良い。
ダンボールごときに足元をすくわれて青アザ?さすがにそれは大袈裟だろうと思っただろうか。これが案外、厄介な障害となるのだ。

生きていて、己の姿を正面から直視することは出来ない。故に、その時の己の姿を想像して、俯瞰して、言動ないし行動を起こすわけだが、そのとき思い描いた己の姿というのは、現実よりだいぶ誇張されているように思う。
中学生の時に、友人たちと某夢の国に行ったときに、何故だがどんなアトラクションよりも人気のある派手な壁の前で、それに登っているようなポーズをした状態で、写真を撮ったことがあった。足をまげ、高くあげて、壁を昇っているときの足の形を表現する。結構頑張った。ちゃんとキツかった。
しかし、実際に撮れた写真を見ると、足は申し分程度にしか上がっていない。私は驚愕した。普段使わない筋肉に悲鳴を言わせながらとったポーズが、こんなにもしょぼいものだったなんて。
そのときに、脳内で現実と同時再生される己の姿というのは、都合のいい様に作られたフィクションだということに気づいた。

ダンボールの高さぶんくらい、らくらく越えられるというのもまたフィクションで、実際の自分は、ちゃんと気をつけて、考える10倍の高さ足を上げて慎重に踏み出さないと、まんまとそのトラップに引っかかってしまうのだ。よいしょ、と口に出すくらいの、注意深さが必要なのだ。
しかし、忙しない朝などはそんな余裕はない。ダンボールに巻き込まれもつれた足をそのままひきずって強引に歩みを進めようとしたばかりに、反対の足でまた、そのダンボールを蹴飛ばし、けたたましい音がする。瞬間、すべてを破壊したい衝動(人はこれを苛立ちと呼ぶ)に駆られ、ただでさえ斜めだったご機嫌がさらに斜めになる。斜めすぎてもう、むしろ、真っ直ぐかもしれない。

これは私の予想だが、きっと犬はこのダンボールがなくてもキッチンには侵入しない。よくできた犬なのだ。人間の勢いを削ぐためにのみ、このトラップは存在する。
しかしまあ、そういった存在もまた、必要なのかもしれない。

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