中根すあまの脳みその143

最近気づいたこと。
私は、乗り物に乗るのが好きだ。

新幹線に乗った。
私の祖父母は愛知県と岐阜県に住んでいて、長期休みには車か新幹線で遊びに行くのが、当たり前の習慣となっている。
今回は私だけで新幹線。
例の人騒がせウイルスが世にしゃしゃり出るようになってから、初めての新幹線だ。
新幹線に乗って遠出することの魅力のひとつに、「手順の多さ」があると私は思っている。
どの座席が快適か見極める。荷造りはできるだけ持ち運びがしやすいように。駅までの道のり、慎重に。売店でお弁当、お菓子、飲み物を吟味。本当にこの列車で合っているのか?本当にこの座席で合っているのか?ひたすら、そわそわした先にやっと、静寂が待っている。ミッションをひとつひとつこなしていくような感覚が、なんとも言えず、楽しい。
新幹線の魅力は音にもある。
旅行者たちが引き摺るキャリーのゴロゴロ、発車を知らせるベルとアナウンス、車内販売の売り子の声、列車が走る音と行って良いのか迷うような絶妙なノイズ。それらを聞くことで高まる、旅先への期待。新幹線ならではだ。

車での移動は昔から好きだった。
と、いうか、好きであることを自覚していた。家でも外でもない、夢と現実の狭間のような特別な空間。そこにいる間はすべての思考から解放されるような気がして、家族を駅に迎えに行く、ほんの数分の移動でも、その魅力に抗えず、ついて行ってしまう。
しかし、最近気づいたのは、電車や自転車にも多少なりともその魅力があるということだ。
思えば、高校生になって急に都内に電車で向かうことが多くなっても、なんの違和感もなく長時間電車に乗っていた。むしろ、時間のある日の帰り道などは、わざわざ各駅停車に乗るくらいの話だ。それについてあまり頭を巡らせたことがなかったが、今思うと、家でも外でもない、夢と現実の狭間のような特別空間、というのは電車においても共通していたのだろう。
加えて、電車には”他人”という存在がある。
もちろん、気心知れた者のみが乗る車の方が安心感はあるが、なにもしらない、もう2度会うことのない人間同士が隣合う、異様な光景もまた、刺激的で面白いものである。体を包み込む独特な緊張感は、不思議と不快ではない。むしろ、車に乗っている時よりも、深く気持ちのいい眠りを提供してくれることもある。
それはまた、自転車にも同じである。
私にとって自転車は唯一自分で運転しなくてはならない乗り物であり、もちろん事故を起こさぬよう細心の注意を払ってペダルを漕いでいるが、ここでも緊張感が心地よい方に作用する。電車に乗っている時間、自転車に乗っている時間、というのは私の中で多くのアイデアが生まれる貴重なものでもある。きっとアイデアというのはリラックスしすぎていては生まれないものなのだろう。適量の緊張感がとても有難い。

乗り物に乗っているときに得られる、現実から浮遊しているような感覚が好きだ。
飛行機。乗ったことはあるがほんの数回なので、次に乗る時には他の乗り物との感覚の違いを探りたい。ヘリコプターにものってみたい。スカイダイビングもしてみたいし、バンジージャンプもしてみたい。これは、関係ないかもしれないが。

新幹線にのってここまで来て、帰りは車なので、思う存分乗り物に乗られて来ようと思う。

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