中根すあまの脳みその233

ほっぺの質量が日によって違う。
人はその要因を“むくみ”などと呼ぶらしいが、そのふざけた名前と図々しい態度が気に入らないので、私はそれを存在として認めていない。
ほっぺが増えた、減った、のほうがかわいくて良い。

私のほっぺのメカニズムの話をしよう。
今まで私は、何かやることがあったり、忙しかったりすると、休む時間やくつろげる時間が減り、それに伴いほっぺも増えていく、と認識していた。統計的に、ほっぺがそれはもう、天下でもなんでもとれるんじゃないかと思えるほどの質量を誇るとき、その生活を顧みると、忙しない時間の流れに身を置いていることが多かったのだ。
しかし、ここ数ヶ月でその通説は覆されることとなる。
1月、冬の公演の1か月前。
私は、鬼のような忙しさに苛まれていた。脚本をなおし、衣装を考え、劇中の細かな動きを決め、会場とのやりとりをし、目ん玉がぐるぐる模様になっていくのを肌で感じながら、必死にピントを目の前に合わせて生きていた。久しぶりに徹夜なんかしちゃって、きゃーーーーこんなんじゃまた、ほっぺで天下とっちゃうよーーーー、と悲鳴をあげていると、ふと目が合った母親がひとこと、なんか痩せた?。
ええ?そんなわけないじゃない。
疑いながら鏡を見ると、確かにほっぺが少ない。軽い。
首を傾げながらも、その時は、シュッとした顔で過ごせることに感謝しておくにとどめた。
公演1週間前。
ある程度ゴールが見えてきて、残った作業もあとわずか。今必要なのは、ただただ本番に向けて確実に日々を重ねてゆくこと。そんな段階になってはじめて私のほっぺは、何億倍にも膨れ上がっていた。重い。なんだか気持ちまで重くなってくる。鏡の私はいつだって、そんなつもりなんてなくたってふくれっ面をしているものだから、心もそれにつられてぷんぷんしてしまう。不安や迷いだったら少し前のほうがあったのに、それらが解消されたらされたで、安心していられるこの状況への不安が毎分毎秒つのってゆく。
あのさーーーーーー、吐き出そうとして気づく。
周りに人がいなかった。
この時期、個人の都合や体調不良によって、毎日誰かがいなかった。
そもそも、関係者全員が揃うということはなく、それまでだって誰かしら欠席者がいたのだが、この時期はなんだか、気持ちが離れているような感覚があったのだ。
その時に気づく。
私のほっぺが増えるのは、孤独のせいかもしれない、と。
かつて私が、それは忙しさのせいだと認識していたのは、これまで、気持ちを同じくした人間が忙しさの中にいるということがまずなく、また、唯一の話し相手である家族との時間もとれず、忙しさと孤独というのが同じ場所にあったからだと振り返る。
しかし、今回は違っていた。周りの人間に、自分と同じ意志が見えた。そのため、忙しさの中に孤独はなく、むしろ、普段よりも自分がいきいきとしているように思えた。
だから忙しくても、ほっぺがシュッとしていたのだ。

これで、
朝までアルコールと塩分を多量摂取した飲み会の次の日、二日酔いに頭を殴られながら見る鏡の自分がやたら盛れているのも、
8時間ひとりぼっちで店番をし、しょぼしょぼと歩く帰り道のミラーにうつる自分の顔が、ちょっと心配になるくらいにふくれているのも、
簡単に説明ができてしまう。

まるで推理小説のトリックを見破った時のような充実感。
増えゆくほっぺとうまく付き合いながら生きてゆきたい。

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