中根すあまの脳みその48


「おれ、チョコチップメロンパンは食わない」
「おれも〜」

信号待ち。
家から最寄り駅に向かう自転車での道のりで、後にいた中学生男子のやりとりが聞こえた。
つんつんしたいお年頃であろう少年たちが、親の愚痴でも学校の愚痴でもなく”チョコチップメロンパン”について語らっているとは、なんとも平和でにやけてしまった。
おそらく、最も違和感なく”チョコチップメロンパン”について議論することができる、女子大生の私でさえも、日常生活の中で”チョコチップメロンパン”と口にすることはあまりない。と、いうか、ほとんどない。あくまでも感覚だが、ここ3年くらいは”チョコチップメロンパン”の存在を会話の中で登場させることはなかったと思う。
それなのに、おそらく、最も”チョコチップメロンパン”と口にすることを避けていそうな、つんつん盛りの少年たちが、ジャージ姿で、自転車にまたがって、自然に、ごく自然に”チョコチップメロンパン”の話をしているのだ。こんな光景はなかなか見られない。いいものを見た(聞いた)と思った。

だが、信号が赤から青に変わった瞬間、私ははたと考える。彼らはなぜ”チョコチップメロンパン”を”食わない”のか。しかもひとりではない。「おれも〜」と、さも常識であるかのように”食わない”ことに同意する少年。
なんだ、近頃の中学生には”チョコチップメロンパン”を食らわない特別な事情があるというのか。彼らの口ぶりからは、断固として”チョコチップメロンパン”を食らわないという意思が感じられた。私が中学校を卒業してから数年経つが、その間に”チョコチップメロンパン”に対する否定的な教育が施されるようになったのか。

だが、冷静に考えてみると”チョコチップメロンパン”というのは少々特異な存在のように感じられた。
例えば、どうしてもメロンパンが食べたくなって、買い物に行く母親に、メロンパンのおつかいを頼んだとしよう。
だが、実際に母親が買ってきたのは”チョコチップメロンパン”だった。
どうだろうか。私だったら、思わず怒りをあらわにしてしまうだろう。場合によっては声を荒らげてしまうかもしれない。
一体なぜか。それは、”チョコチップメロンパン”はメロンパンにチョコチップを混ぜ込んだだけの存在ではなく、”チョコチップメロンパン”という別の種のパンとして独立してしまっているからだ。メロンパンというカテゴリの中に収まるには些か個性が強すぎる。
ただ、メロンパンの力なしでは彼はきっとパン業界を生き抜けない。メロンパンを名乗らずして彼はその売上を保つことは出来ないだろう。
所詮、彼の力とはその程度なのだ。
そう、学校で教師に対して反抗的な態度をとることでしか自己のアイデンティティを保つことの出来ない、思春期真っ盛りの少年たちのように。
自転車にまたがる少年たちが、”チョコチップメロンパン”を”食わない”理由、それは、同族嫌悪だ。きっと彼らは潜在的に気づいているのだろう。”チョコチップメロンパン”がなんとなく自分たちに似ていることを。

さて、いい加減私は、”チョコチップメロンパン”という言葉を反芻しすぎて、もはや”チョコチップメロンパン”という言葉自体がおもしくなってしまっている。
チョコチップメロンパン…
チョコチップメロンパンって何?
チョコチップメロンパン…???????
チョコチップメロンパンwww
チョコチップメロンパンチョコチップメロンパンチョコチップメロンパンチョコチップメロンパンチョコチップメロンパンチョコチップメロンパンチョコチップメロンパンチョチョチョチョチョチョ……

…NEWDAYSで買ってかーえろ。


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