中根すあまの脳みその75
最悪の結果が待ち受けていることを知りながらも、進むしかないことがある。
自分のパソコンにステッカーを貼っていた。ドラえもんとのび太が楽しそうに笑い合っているステッカーである。ある日それが、4分の1ほどめくれていることに気が付いた。
少し、いや、かなり気になったが、私はそのステッカーが気に入っていたため、そのまま放っておくことにした。
それから数か月後、ふとパソコンを注視すると、ステッカーのはがれた部分に細かい塵が貼り付いていた。私はぎょっとした。潔癖症ではないし、むしろガサツな面を持ち合わせている私だが、生憎、一度気になったら一生気になってしまう質でもある。私は、その場でそのステッカーを剥がそうとした。
だが、一度考える。世の中に存在するステッカーには、もはや怒りを覚えるほどに剥がしにくいものが存在する。ステッカーの表面だけが剥がれ、シールの部分はパソコンにこびりついてはなれない、そんな最悪の事態も考えられる。ここは一度落ち着いて、時間をかけて判断しよう、私はそう思った。
しかし、それからというもの、パソコンを使うたびにそのステッカーの存在が気にかかる。キーボードを叩いている間中、ステッカーの裏側に貼り付いた塵の様子が脳内を彷徨う。どんなに集中していても、脳みその要領のうち10%くらいはステッカーのことを考えている。いいアイデアが浮かんでも、「パソコンに汚いステッカー貼ってるけどなあ…」と思ってしまう。ハッと我に返り、たかが剥がれかけのステッカーに己の思考が支配されていたことに気づいたとき、私はやっと、それを完全に剥がす決心をした。
落ち着いて、ステッカーの様子を窺がう。うん、大丈夫。これはきっと、綺麗に剥がせるタイプのステッカーだ。いける、いけると己自身を励ましながら少しずつ剥がしてゆく。よし、よし、大丈夫だ。ちゃんと剥がれている。ちゃんと…。
その時、気の緩みからか、勢いよくステッカーを剥がそうとしてしまう。
瞬間、背筋が凍るのが分かった。恐る恐るその様子を確認すると、案の定、ステッカーの表面、イラストがかいてある薄いフィルムのようなものだけが剥がれ、白いシールの部分はパソコンにしっかりと貼り付いたままだった。
その時、私は悟った。この先にはもう、最悪の結果しか待ち受けていないことを。
引き返そうにも、もう、ステッカーの半分以上がパソコンとのお別れを済ませていて、もう一度貼り付けることもできない。
最悪の結果が待ち受けていることを知りながらも、進むしかないのだ。
人間はしばしばそういった場面に遭遇する。絶望が待つその結末へ、自ら歩いていかなければならない。その経験が、己を強く成長させてくれると、そう信じて…。
今、私のパソコンには、そこにステッカーが存在した証が強く刻まれている。
消し去ることのできなかったその証が、哀れに、弱々しく、そこに残っている。
今日も私はそれを見て、深くため息をつくのであった。人生とは難儀なものである。
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