中根すあまの脳みその122

電車での帰り道。
本を開くかパソコンを開くか、とにかくなにかを「開か」ないとせっかく与えられた空白の時間を浪費してまうという心と、今はただこうして空白の時間を浪費していたいと願う心とが頭の中で喧嘩し、どっちつかずな態度でのっそりと座っていた。なにかしないと、と思いながらなにもしない、そんな時間こそか本当の「空白の時間」であると、軽く自嘲しながらそう思う。

ふと目に入るのは、自分の正面に座る、サラリーマン(厳密に言えばスーツを着ているだけで、その職種までは特定できないのだが、この場で私は「サラリーマンだ」と思ったので、そう仮定する)3人組。1日の職務を終えてまっすぐに帰宅するには少しだけ遅いような気がしたが、酔っ払っているような雰囲気はなく、さわやかな印象を与える中年世代の3人だった。咄嗟に3人組だと判断した私であったが、3人の動向を気配で察していると、なんだか、3人のうち2人だけが楽しげに会話をし、ひとりは取り残されているのような気がした。私から見て左側の人と、真ん中の人だけが熱心に話し込んでいる。
ああ、同じような年齢で同じような服装をしていただけで、別に3人組じゃなかったのか。
見た目だけでそういうの、判断してはよくないな、と少し反省する。しかし、なんだか腑に落ちない。彼らの姿を最初に確認したとき、私は疑うことなく「3人組だ」と思った。そう思わせるようななにかが、そこにはあったのだ。そのことについて考えを巡らせていると、次の瞬間、会話を弾ませていた真ん中の人が、黙っていた右側の人にわっ、ともたれかかるようにして体を寄せた。私は一瞬、なにか事件と言えるようなことが起きたのかと(最近は物騒な出来事が多いので)焦ったが、どうやらそうではない。真ん中の人が、右側の人に「絡んだ」だけのようである。
3人は楽しそうに笑っていた。
ああ、やっぱり3人組だったんだ。
ひとまず、そう思う。自分の受けた印象は間違っていなかった。人間は同じ時間を過ごした人間と、共通した空気感を纏っているのだ。
年齢や性別、服装とはまた別の、何かだ。
そしてその様は、なんとも言えず良かった。
おそらく右側の人は普段からあまりしゃべるタイプではなく、それを知っていて適度に距離をとっていたのだろう。しかしそれでは寂しいので、ちょっとちょっかいを出す。無理して3人でしゃべろうとしない、でも、ほっとくこともしない。子どものような自然さと屈託のなさが、なんだか良かった。

なんとなく、いいものを見たような心持ちがしたので、本もパソコンも開くことなく、ただただそこに座っていた。なにもしないことに納得できる時間というのは貴重なものである。3人組に感謝したい。

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