中根すあまの脳みその37

忙しかったり、考えることが多かったりするとすぐに髪が抜ける。
見てわかるくらいの大規模な被害にはならないのだが、髪の毛を洗っている時に指にごっそり髪の毛が絡まっているのを見ると、乙女(?)のメンタルにはかなり来るものがある。
だが、心配しなくても、生活が落ち着くとすぐに生えてくる。それも一度に。
だから今、わたしの頭には、ぽやぽやの毛がたくさん生えている。
それを見て、なんとなく、「アホっぽいな〜」って思う。ああ、それで「アホ毛」?いや、そうだとしたらこの話自体があまりにも「アホ」だ。
「アホ」って、ほんとに「アホ」って感じだよな〜。響きがもう、「アホ」だもん。
…どうでもいい?分かっている。なぜならこれを書いているわたしでさえも、どうでもいいと思うから。


非日常感漂うこの生活も、だんだん日常になってきていて、今ではもうこんなどうでもいい話をするくらいに、のびのびと暮らしている。
だが、1日に1回(平均)くらいのペースで、ふと考えてしまうのだ。
もしこのままの生活が、わたしたちが思っているよりずーーーーーっと長く続いたら。
人々の暮らしはどうなるのだろうか。
そんなのてめえが考えてもしょうがねえだろ。
とツッコミを入れながらも、ついつい考える。

日本ではここ数週間で、家の中で快適に過ごすための手段がどんどん増えてきている。
人間の適応能力って本当にすごいと、他人事のように思う。
これから先もきっと、人々は生活の全てを家の中で完結させられるように、様々なものを開発し、導入していくだろう。
もしそれが叶ったとき、世界はどのような形をしているだろうか。わたしは、漫画や小説、映画などで空想するような、いわゆる『100年後の世界』を思い浮かべた。人間が動かなくても、毎日を充分快適に過ごすことができる世界。

ここで、妄想好きの私の血が騒ぐ。
この世界をなるべく早く、「人間が働かなくていい世界」にするために、人々が家から出たくなくなるような過酷な環境を、なんか巨大な力をもったよくわからんえらい人が用意したのではないかな…ナンチャッテ。


終息、終息と言っているが、なにをもって終息とするのか。そしてその時は来るのだろうか。来るのならいつだろう、来週かな、来月かな、1年後かな、30年後かな。
偉くもなんともないわたしには、「本当」がなにひとつわからない。その事実が、じわじわと私を不安にさせる。
あの人や、あの人に会える日は来るのだろうか。会えないまま一生を終える可能性だってないわけではない。
もしかしたら、人に直接合って会話することのメリットを私は忘れてしまって、誰かに会いたいと願うことすらなくなってしまうのかもしれない。
わたしは思う。「いついつに終息します!絶対です!」と、説得力のある声で宣言してくれる人が現れたら、少しは気持ちが楽になるかも、と。


ここで、妄想好きの私の血が騒ぐ。
今、自信満々に、一切の迷いもなく、人々の前で叫ぶ人がいたとしたら、その人は神になるだろう。その、神になりたい、どこかのとんでもない人による自作自演…ナンチャッテ。

「それはないだろ〜〜」と馬鹿にしていた情報が、数日後に事実となって我々の前に姿を現す、そんなことが増えた。
今願うのは、数年後に超有名になっている(予定の)私が、「こんなこともあったねえ」としみじみと振り返ることのできる未来だ。

いきよう。

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