中根すあまの脳みその87

最近、自分はうどんが好きだと言うことに気づいた。
幼い頃から、そばかうどんかと聞かれたら声を大にしてうどんだと答えていたが、自分にとってうどんとは2択を迫られたときにのみ選ぶ存在であり、それ以上でもそれ以下でもないと、そう認識していた。

その想いを自覚し始めたのはここ1年くらいのことだ。
まず私は、スーパーなどに売っている、ぶっかけうどんと丼もの(かつ丼か天丼が多い)がハーフ&ハーフになってる弁当を見かけると、どうしても惹かれてしまうことに気づいた。他の選択肢がどれだけ魅力的でも、私はうどん&丼もの弁当には抗えない。どうしても手が伸びてしまう。今日は絶対に違うものにしようという強い意志を持っていても、だ。悔しいほどに、惹かれてしまう。
かつ丼や天丼が美味しいのは当たり前のことだ。単品で十分に満足できる。それなのにその弁当は、そこにさらに、いつ食べても旨い、圧倒的安定感を誇る“ぶっかけうどん”をぶつけてくるのだ。白いうどんの上に散らされているのは揚げ玉とねぎ。白と茶と緑。他に見ないその色合いはまるで芸術のように私を魅了する。ああ、なぜ麺類の上に散らされた薬味と言うのは、こんなにも私をたまらなくさせるのだろう。
そこまで考えると、もう私の手は弁当を掴んでいる。これは私に課せられた運命であると、そう信じてしまう程に、私はうどん&丼もの弁当の魅力に抗えない。

そもそも私は、炭水化物の存在をあまり重く捉えない人間であった。
別にごはんがなくても、おかずをたらふく食べられれば文句はないし、麺類はもちろん好きだが、“好きな食べ物ランキング”の上位に選ぶかと言われれば微妙なところであった。
自分は、くいしんぼう=炭水化物好きという世間一般のイメージを覆す存在であると誇りに思っていたくらいだ。
だが、一度大幅な減量に成功し、日常的に炭水化物を控えるようになると、途端にその存在の重要さに気づいた。月並みな表現だが、失ってはじめて自分の本当の気持ちに気づいたのだ。
今までの自分の炭水化物に対する考えと言うのは、好きなものを好きなだけ食べてよいという考えのもとでしか通用しなかった。
日に何度も、「ああ、炭水化物を摂取したい」と思う。それはもう、狂おしいほどに。
そんなとき真っ先に頭に浮かぶのが、揚げ玉とねぎ(欲を言えば温泉卵も)がこれでもかと載せられた、うどんだった。
それに気づいたとき、私はうどんが好きなんだ。いや、ずっと前から好きだったんだ。と、自覚したのだ。

無意識の範疇にとどめられていた想いが、ある日ふと、新しい発見としてもたらされることがよくある。今後もこの調子で好きな食べ物が増えていったら、私は一体どうなってしまうのだろう。
恐ろしいので考えるのをやめよう。


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