中根すあまの脳みその85

高校3年の夏から、毎週金曜日に投稿してきたこの「中根すあまの脳みそ」だが、実は一度だけ投稿できなかったことがあった。厳密に言うと、投稿することを完全に忘れていたのだ。
継続することに対する苦手意識を払拭するために始めたこの試みだが、初めてから1ヶ月もすれば、金曜日に文章を綴るという行為は完全に習慣化し、大好きな金曜日が、あんまり好きじゃなくなる程度には定着していた。
では、なぜその日は投稿できなかったのか。

それは、1年前の今日である。
私は第1回の単独公演を開催した。コロナウイルスの影響で観客はいれず、配信のみで行ったその公演、および公演の準備期間は、おそらく今後どれだけ歳を重ねても忘れることはないであろう、それはそれは印象深い経験であった。

思い出すのは、2020年3月3日。
私は、公演を中止するか延期するか、はたまた無観客で行うのか、その判断に頭を悩ませていた。その時期にライブやイベントを開催する予定だった、芸人や主催者たちが軒並み中止を決断し、SNSはそれを知らせる文章で溢れていた。中止や延期をすることが妥当だと思う反面、協力してくれた多くの人のことを考えると心が痛む。
両親は、連日準備のために都内に出かける私を心配した。当然だ。未知のウイルスが人々を脅かしているにも関わらず、電車を乗り継ぎ人の多い場所に行くのはとても褒められたことではない。
決断が迫られたその日、私は親の反対を押しきって家を出た。その時私の心は、やると決めたことをやめたくないという頑固な気持ちと、今この状況だからこそやらなきゃという大袈裟で身の程知らずな使命感で支配されていた。今考えると、とんだ親不孝者だし、自意識過剰だと思う。だけど、この時の決断に関して、私は後悔していない。
幸運なことに、今私の父は単身赴任のために都内で暮らしている。その日から1ヶ月弱、私は実家を離れてそこで過ごした。

公演の準備期間は、ただただ己の未熟さを痛感する毎日だった。
昔から行動力だけが取り柄だった私は、欲張りにやりたいことを全部やろうとした。そこに実力が伴っていればよかったのだが、経験も知識も足りなかった私は、中身が空っぽで、そのことに取り組み始めてから気づいた。威勢が良かったのは最初だけで、困難に直面する度に己を悲観し、なにも進まない、無駄な時間を多く過ごした。自分の生み出すものに自信が持てず、練習することすら怖くなってしまった。周りの人の助けを借りまくってやっと、なんとか動いていたと思う。
そんな調子で準備は押しまくり、直前の直前まで落ち着くことはなかった。

そして迎えた公演当日。
え?本当に今日なの?、と思ってしまうほど不完全なままで、本番に向かうことになった私は、やるしかないと割り切って何とかその場を切り抜いた。ピンチから命からがら逃げ切ったという感覚だった。
終演直後は解放感が私を支配した。やり残したことがありすぎて、達成感はなかった。終わった、ということしか考えられなかった。
帰宅して落ち着くと、準備期間の自分の様子がフラッシュバックした。あまりにも未熟で、恥ずかしくて、申し訳なくて、ださくて、思い出したくない。もう二度と繰り返してはいけないと強く思う。
心が忙しすぎて、その日が金曜日であることなど忘れ果て、私は1日終わらせた。

単独公演からちょうど1年。
私はあの日から成長できたのだろうか。正直、自信をもってそれを認めることはできない。とても悔しい。
だからこそ2021年は。
そう強く誓う今日である。そして、どんなに壮絶な1日だったとしても、曜日感覚はしっかり持っていたいと思う。

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