中根すあまの脳みその169


代々木公園でひとり、時間を持て余していた。

現代における時間泥棒の犯人と言ったら、大抵がスマートでフォーンなアイツだが、こんなにも時間を奪ってほしいときに限って、私のそれは残り5パーセントの労力しか残っていない、瀕死の状態であった。忙しい時にはいつも、一瞬の隙を見て盗みをはたらくくせに。
生憎、携帯式の充電器は家で留守番中である。私は充電器と仲が悪いので、すれ違いばかりなのだ。今日はしっかり鞄に入れてきたと思うと、充電器自体の充電がない。めちゃくちゃ悔しい。これからは充電器をこまめに充電すると心に決める。すると、今度は持って来るのを忘れる。といった調子である。
さらに、この日に限って働き者だった私は、その場でできそうな作業はもう、やり尽くしていた。持ち歩いていた本も、間が悪いことに、ここまで来る電車で読み切っている。残念なことに、読み返したいと思うほどの熱狂はない。

残された選択肢はひとつ。
散歩だ。

思い立った途端に溢れ出す意欲。
このだだっ広い公園を征服してやろう、と勇ましく一歩を踏み出す。

思えば音楽も聞かずにただただ歩くことなど、いつぶりだろうか。電車の乗り換えでさえ音楽がほしくなってしまう私である。たまにはこういう、静かな時間も良いかと思ったが、自分の心の声がああでもないこうでもないと喚くものだから、イヤフォンをつけている時の方がむしろ、静かであるような気がした。

突然うごめく影が、こちらに襲い来る熊のように見え焦る。東京に熊?ニュースとかでアナウンサーが熊って言う時目の下にできるクマのほうのイントネーションで言うけどさあれって正しいの?こっちが訛ってるの?ああ、なんだ、人か。人がなんか、ほふく前進みたいなトレーニングしてるのか。なんで熊に見えたんだろう、あれが。
その時の私にとっては紛れもなく熊だったのだ。

それから程なくして、遠くにカラフルな光が見える。イルミネーションだ!テンション爆上がり。あそこまで行こう。BGMは、ケンタッキーのCMのクリスマスがやってくるやつ。竹内まりや。るんるんと進むと、ある異変に気づく。

光が、動いているのだ。
無数の光たちが、縦横無尽に移動している。
目を疑ったが、まあ、最近はイルミネーションも凄いのね、
確かにご近所さんちの、年中無休で輝く(電気代とか大丈夫なのかなあ)イルミネーションも、この前みたらなんか新しくなってたもんな。ハイテクな感じに。
と、無理やり納得して進む。

しかし、進めば進むほどやっぱりおかしい。
おかしければおかしいほど気になって、
半ば駆け出しのようなスピードで光に近づくと、そこは、ドッグランであった。

いや、犬かい。
犬の、なんか、あの、最近はやってる、やたらファンキーな、光る首輪かい。
ファンキーな首輪の群れかい。
そりゃ、動くわ。走ってるもんみんな。
そりゃ、走るわ。ドッグランだし。

これが結構ツボにはまってしまった。
前から、あの、やたらファンキーな首輪については思うところがあったのだ。人間はもちろん、助かるのだろうけど、本人はどうなのだろうか。眩しくないのだろうか。犬の視力がどの程度のものなのか体感したことがないのでなんとも言えないが、あの光り方は、あの派手さは、本人から明確な許可が得られた時にのみ許されるものではないのか。
人間は犬から、明確な許可を得ることはできない。従って、勝手にその犬をファンキーにしていることになる。それで、いいのだろうか。
そういった思考があったものだから、
目の前に広がる、犬イルミネーションが、妙にツボにはまってしまった。
言わずもがな、その後の道のりは、ファンキーな犬のことしか考えられなかった。

家に帰ってから、うちの犬に、
あの首輪ってありなの?
と聞いてみたが、返事はなかった。

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