中根すあまの脳みその244

たらふく酒をくらっても尚思考がはっきりしていて、まるでそれが決まりきっているかのようにパソコンをひらいた。ここ数ヶ月、私が、どれだけ願っても叶わなかったことだ。
起動するのを待つ間、
なにくそ、ぜったいに今、この時間で蹴りをつけてやると、脳内で1億回反芻し、そこからひと息、ひとくちで大きな怪獣を丸呑みするように、物語を完結させた。

我ながら大袈裟だと思う。
そんな、大層な作品を書き上げたのか。
別にそうではない。
しかし、私の中では天変地異くらいの話だ。これを読むごく僅かな人たちにくらい、この大袈裟な物言いを許してほしい。

書けるか、書けないのか、の前に、
書きたくない、というのがここ最近の私が繰り返し導き出した結論であった。
限界まで散らかった部屋のベッドに寝転んで、ぐああああかきたくないよお、と悲痛な声を漏らし、情けなさと焦りに苦しみながら、結局朝を迎えてしまう、そんな日々だった。それでも振り絞り生み出した台詞は、ひとつひとつがなにか違和感を帯びていて、次に進むことができない。
怠惰だ、怠惰だ、怠惰だ。
甘えだ、甘えだ、甘えだ。
そればかり唱える意識が煩わしくて、酒を飲んで思考を遮った。

そもそも、物語を書くこと、そして、舞台をつくること、それそのものを得意と思ったことがない。なにか壮大なものに抗うように創り出した己の夢が、己を道を勝手に決めただけだ。この世界でのびのびと暮らす人々の姿を眺める度に焦燥感に駆られる。
見ていてくれる人がいるからやめたくない。
簡単に諦めるやつだと思われたくない。
しょぼいことをしていると思われたくない。
自分善がりだと思われたくない。
こうなりたくない、ばかりがごろごろと偉そうに居座り、まるで散らかった部屋のようになっていた。
しかし、それが自分の視野を狭めている原因だということに、私は気づけていなかった。

こうしたい、という気持ちに鈍感だ。
いつからか、他人を通してでしか自分の存在を認識できなくなっていた。
居酒屋に行って、適当につまみを頼もう、何が良い?と聞かれても、何も浮かばない。ほんとうに文字通り、何も浮かばないのだ。腹に聞こうが頭に聞こうが、目の前の他人の視線を感じると、その人の良いように、というのが正解、私の食べたいものになってしまう。
人から見える自分の姿にしか興味がない。
服や化粧は綺麗にしても、部屋や部屋着には恐ろしく無頓着だ。外に出れば、真人間として、できればそれ以上に魅力的な人間にみられたくて、自分を様々な要素で彩るが、家に帰ればそれの全てを捨て去り、抜け殻のように眠るだけ。
虚勢を剥ぎ取れば、そこには虚無があるだけ。
なんだかそれを当たり前に思っていたが、
ここへ来て初めて、それによる弊害に脅かされることになったのだ。
それに気づけたのは、自分の力ではなく。
様々な人との出会いがあった。
新しい出会いでなくても、思わぬ言葉を投げかけられ、それによって脳みそに雷が走るようなことがたくさんあった。
そのひとつひとつの発見と反省と希望が、
鉛のように重かった私の筆に羽を授けてくれたのだと思う。

END
の3文字を刻んだとき、外はすっかり明るかった。ふわふわと心が宙に浮いていて、ひとつの物語を書き上げたこと、ずっと願っていたはずのその事実がちっともピンと来ない。実感がわかない。書き上げたはずなのに、ひとつに繋がっていなくて、己の手によって物語として完結させたはずのそれが、ただ言葉を並べただけのお粗末ななにかの残骸のように思える。
時間が来たので、宙に浮きながら働きに出る。
心ここに在らずのまま揺られる電車の中で、突如、流れ出してくるのは、きらきらとしたなにか。
なんだか私はこの物語を、とても大切に、大事にしたいのかもしれないのかもしれないという、ぼんやりとした何か。予感。
脳みそから、まるで弾けたクラッカーのように、きらきらが飛び出してくる感覚。
ああ、今日は働きたくないなあ、とどうにもならないことを思った。

こうなりたくない、ではなく
こうなりたい、で物事を捉えて良いのだという、心強い事実が、自分に大きな一歩をもたらしたのだと振り返る。
しかし、それから少したった今、今度はその事実に苦しめられているのだ。
今日の友って明日の敵だっけ?!
聞いてないんだけど!!
文句を垂れながら丸腰でがたがたの道を行く。
今日もまた。

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