中根すあまの脳みその133

六本木のまちをひとりで歩いていた。
土曜日。もう、かれこれ2年以上、2週に1度のペースでここを歩いている。 はじめのうちは田舎の地味な制服を着て、その街並みにふわふわと浮いていたことを思い出す。幼い頃から皆勤賞とは無縁の生き方をしていたので、それに近い状態にあるその場所がなんだか誇らしくなる。
思えばいろいろなことがこの道ではあった。
猛暑、土砂降り、雪、雷。いろいろな会話、沈黙。不思議なことに、ほかの瞬間より鮮明に覚えている気がした。物思いに耽りながら、すっかり慣れたその景色をぼんやりと眺めていたら、前から小さくて忙しい気配がやってくる。
犬だった。
散歩中の犬と、その飼い主が前方からやってくる。妙に目に付いたのは、実家で犬を飼い始めてからというもの、まちでみかける犬たちの可愛さを改めて実感するようになったから。しかし、それだけではない。このまちで犬を見た事がなかったからだ。そういやそうだった、と思う。このまちでの記憶には、1匹の犬もいない。2月の寒空の下で肩を精一杯露出したお姉さん、そのお姉さんの腰に手を回すイケイケお兄さん、なにやら呼び込みをしている映画スターのような外国人のおじさん、そのまちを象徴するような人間たちに囲まれて、いっぽいっぼ確実に進んでいく犬の姿はなんとも勇敢であった。私は思わずその犬に軽く会釈をする。
犬と飼い主が過ぎ去って、その風景がいつものものに戻る。
と、思いきや、私は目を疑う。そこには、もう1匹、犬がいたのだ。過ぎ去った犬と飼い主の後を、少し間隔をあけて、しゃなりしゃなりとついて行くその犬に、リードはついていなかった。
モラルとしてどうなのか。いったんその、常識人としての視点は置いておいて、私はしばし感服する。すげえ。この犬、六本木をひとりで堂々と歩いてやがる。不思議と愛らしさや可愛らしさは感じない。その犬の顔は、手放しで愛でるには少し、達観しすぎていた。
制服は着ていなくとも、私はどこかこのまちに気後れしてしまうところがあった。そんな臆病な人間を、諭すかのように、ひとりで颯爽と進んでゆく犬。私は思わず、その犬に深々と頭を垂れる。さすがにおかしいので、心の中で。
犬とすれ違って、私は、今までより少し背筋を伸ばして歩いた。

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