中根すあまの脳みその67


湯船に浸かっている状態から、立ち上がる。
その行為が、この世でいちばん嫌いだ。

重力が一気にのしかかってくる感覚、体から離れていく液体がたてる騒々しい音、そしてこれから待っている煩わしい時間への予感、その全てが私を辟易させる。

湯船に浸かっている時間は嫌いではない。
携帯を持ち込んで動画を見たり、湯船に浮かべたみかんと戯れたり、近所迷惑を気にしながら歌を歌ったり、ひたすらぼーっとしたり、過ごし方は無限大であり、その日の気分によって選択して、楽しむことが出来る。
(もっとも、そのようにして風呂の時間を受け入れられるようになったのは最近のことで、ついこの前まで、如何にしてその時間を早く切り上げるか、そればかり考えていた。)

しかし、20分も経過すると、少しずつ気分が暗くなる。額から流れてくる汗、忍び寄る睡魔、体は限界が近いことを知らせてくるが、心はそれを拒否する。
なぜならそれは、”めんどくさい”からだ。

そろそろ出なければ、そう思いついた瞬間から、私の地獄は始まる。

暑い、だけど眠い。不快極まりない。
じゃあ出ればいい。その地獄から、脱出してしまえばいい。
わかっている、わかっているが、動けない。
体は重力から解放され、怠けきっている。
立ち上がる、という行為自体を忘れてしまっているようだ。

いや、それは愚かな人間の言い訳だ。
人間たるもの、強い志さえあれば、どんな苦行だって乗り越えられるものである。
強い志さえ、あれば。
無論、そんなものは私には無い。
とっくの昔に手放した。
今あるのは、このまま眠りについてしまいたいという愚かな欲望と、もしかしたら自分は一生ここから抜け出せないのではないかというなんとも情けのない絶望だけだ。

考えるだけでうんざりする。
仮に、この地獄からの脱出に成功したとして、待っているのはさらなる地獄だ。
至る所を泡まみれにして、湯で流して、さらにそれを拭き取るという、捧げた労力を無に戻す作業。
これを地獄と言わずして何と言う。
穴を掘らせて、それを埋めさせる、かの有名な地獄での労働と、同じことではないか。

こうしている間にも、刻々と時間は過ぎていく。
時を手放せば手放す程に、体は重く、心は煩わしくなっていく。
昨日の私は一体どのようにして、この苦行を乗り越えたのだろうか。

もう、いっそ、諦めてしまおうか。
睡魔に魂を捧げ、そのまま安らかに…

だめだ、だめだ。
私の人生、終着点は天国と決めている。
覚悟を決めよう。
3、2、1、で全てを変える。たったの3秒の我慢で、この地獄から抜け出せるのだ。
よし、行くぞ。

3、2、1、
ばっしゃーーーん。

…さむ!!!!!!
むりむりむりむりむり。
2時間入ってたのに?こんなに汗かいたのに?

自ら地獄に後戻りするとは、なんて愚かな人間なのだろうか。
風呂と私の戦いは、今夜も続くのであった…。

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