中根すあまの脳みその51

「キーウーイ、キウイ、キウイを食べよう♪」

ふたりのキウイが体にいいことをしようと、ランニングに、山登りに、ストレッチに悪戦苦闘する、ゼスプリのキウイのCМをご存じだろうか。CМという存在は、番組を真剣に見れば見るほど煩わしく感じてしまうものだが、このゼスプリのCМは全部でぴったり1分というかなりの長尺でありながら、始まるとなんとなく最後まで見守ってしまうような不思議な魅力がある。キウイブラザーズやその仲間たちが、やさしいメロディーに合わせてダンスを披露するラストには、得体の知れない感動を覚えるほどだ。

私がこのCМに出会ったのは4月。
単独ライブの準備のために慌ただしく過ごした日々が終わり、自宅でだらだらと巣ごもり生活を始めた頃だった。夕方のニュース番組を見ていたら、息を弾ませながらランニングに勤しむキウイブラザーズが現れた。それまでの忙しない日々の中で、ゆっくり意味もなくテレビを見るということがあまりなかった私は、ゼスプリキウイのCМの存在をこのときはじめて知った。なんとなく目が離せずにキウイたちの勇姿に刮目していたら、普通なら終わりそうなところでなかなか終わらない。あれれと思っているうちに、さも当たり前のように踊り出す果物たち。戸惑っていると、キウイたちはスイスイと画面に近づき、「好きなことなら、長続きできるよ」そう言ってウインクした。そのとき、私の心は完全に撃ち抜かれた。

自粛生活中はすることもなく、夕方5時位にはリビングで早めの夕食をとっていたのだが、ちょうどその時間帯にテレビを垂れ流していると、必ずといっていいほど小粋なキウイたちは現れた。まるで私たちの非日常を労わってくれるかのように。いつのまにか、毎日同じ時間に彼らの姿を見届ける、それが私の、いや家族の日課になっていた。私には9個年下の妹がいるのだが、彼女もすっかりキウイブラザーズの虜だった。「なんか見ちゃうよなこのCМ」と、父もその実力を認めているようだった。あまり覚えていないが、母も笑顔でキウイたちを見ていた(気がする)。CМが始めると誰かが「お、始まった」というくらいには、みんなこのCМが好きだった。

頑張っているけれど、いつもうまくいかないキウイたち。
その姿はとても愛おしい。だって私もみんなもそうだから。新しいことに挑戦して壁にぶち当たる彼らは、まさに謎多き存在に全世界を挙げて戦う、そのときの人類の姿と重なっていた。不自然に長い時間家にいて、ネットニュースやテレビの報道に気持ちを揺さぶられ、これでいいのか、これでいいのかと疑問を抱き、それでも平気なふりで日々を過ごす、そんな私たちの慢性的な不安を彼らキウイブラザーズの存在が肯定し、励ましてくれていたのだ。
最後のダンスで、後ろから仲間たちが現れ、スケートのように滑る動きをするところで、
なぜだかとても心が震える。その正体がよくわからない、だが、安心感に似た何かで胸がいっぱいになるのだ。曲調、キャラクターデザイン、彼らの動き、そのすべての要素がひとつになって、大きなぬくもり、あたたかさを生み出している。キウイブラザーズはいつだって私たちの味方なのだ。

巣ごもり生活がいったん終わりを告げ、少しずつ外に出るようになった6月。
生活に慌ただしさが流れ込み、毎日キウイブラザーズの姿を見ることはなくなった。非日常が、日常に戻り始めたのだ。そんなある日、私はふと思い出し、YouTubeであの素敵な1分間の動画を見てみた。相変わらず、ほっとするような彼らの姿にまたも心を掴まれる。
いつもの癖で、コメント欄に目を移す私。そこには、私の抱く彼らへの愛情を裏付ける言葉の数々があった。1600件にも及ぶコメントのほとんどが、私の気持ちを代弁していたのだ。
“スケートのような振り付けのところで泣きそうになる”。思わず、「私、コメントしたっけ?」と考えてしまうようなコメントもあった。そこは、集団催眠といっても過言ではないほどの共感で溢れていたのだ。
キウイブラザーズに心を癒されていたのは私だけじゃなかった。衝撃と感動。そして、少しの疑念。オカルト好きな私としては、このCМにはサブリミナル広告が仕込まれていて、本当に集団催眠効果があるのではないかと、ほんの少しだけキウイブラザーズを疑ってしまった。

いつもと違う、“なにかがおかしい”世界に生きる私たちの疲労と不安、それによってぽっかりと空いてしまった心の隙間を、ビタミンたっぷりの彼らがぴったりと埋めてくれた。
激動の2020年、影のヒーローは彼らだと言っても過言ではないだろう。


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