中根すあまの脳みその22

新年あけましておめでとうございます。
今年も中根すあまも何卒よろしくお願い致します。今はまだあまり多くの人に届いている感じがしないこの文章も、より多くの人に読んでいただけるよう、継続していくのでひとつよしなに。

さて、今まさに新幹線で愛知県にある祖父母の家からひとりで孤独に帰っているところだ。明日から本格的に日常が始まる。何時に寝ても何時に起きても、何をどれだけ食べても全部『この時期は特別だから』で済ませることができた(と思っている)日々ともお別れしなければならない、嫌だそんなの。別れたくない。冬休みと結婚したい。

さて、そんな年末年始だいすき人間のわたしがここ数年疑問に思っていることがある。それは、『1年経つの早すぎじゃないか?』ということだ。いや、正しくは『1年経つの早くなってないか?』か。毎年大晦日になると、去年の大晦日から1年経ったことが信じられなくなるのだが、その信じられなさ具合が年々増している気がするのだ。そして、それを口に出す人も多くなってきている気がする。祖父も、母親も、事務所の先輩も、同級生も、学校の後輩も、9個下の妹も、みんなそろって『1年経つのが早かった』というのだ。それはちょっとおかしいと思う。
例えば、歳をとっていくにつれて時間が過ぎるスピードが早くなっていくという話は聞いたことがある。若いうちは、苦手な授業を受けているときなど、時間が経つのが遅く感じるような出来事が多くあるためだろう。
毎日が充実していた人は時の流れを早く感じ、退屈していた人は遅く感じるという考え方もある。まあ、どのように考えても、1年が経つのを早く感じる人もいれば、遅く感じる人もいるという結論に至るだろう。
しかしどうだろう、少なくともわたしの周りではみんながみんな『早かった』といっている。
そしてみんな高確率でこう言うのだ。
『去年よりも早かった』と。
わたしは考えた。これはもしかして、本当に1年が短くなっているのではないか。1日の時間が、0.00000001秒くらい(適当)ずつ縮まって、その積み重ねで、1年が少しずつ短くなっているのではないだろうか。
この世界でもっとも大きな権力をもつ何かが、何らかの理由で人間の生活を終わらせたくて、でもその考えが人間にばれてまうと騒ぎが起きて面倒くさいから、ばれないくらいのスピードで少しずつ少しずつ我々の生活を終わらせようとしているのではないのだろうか。

新年早々、わたしの脳みその中のしょうもない妄想を発信してしまって申し訳ないと反省している。ただ、そう思わずにはいられないほどの、時の流れのはやさなのである。
もしこの妄想が本当で、実際に1日の長さが0.0000000000001秒くらい(適当)ずつ縮まっていて、生きているうちに活動できる時間が減ってしまったとしても後悔しないくらい、毎日を充実したものにしたいと思う。
2020年のわたしの大きな目標にしよう。

·····1日と2日のわたしのぐうたらぶりは、いくら働いてもなかなか取り返せないほどのものである、ということには触れないでおこう。


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