中根すあまの脳みその145

こどもに懐かれたことがなかった。
それはなぜかと己に問いかけてみると、私がこどもに対して手加減をするということを知らず、常に大人げなかったからではないかという結論に思い至る。
ここでいう手加減というのは、オセロやかるたでわざと負けるとか、そういった類のことではなく、なんと言うかもっと日常的な話なのである。生活をしていく中で、こどもはこうだから自分はこうしよう、とか、こどもはしかたないから、とか、そういった思考がなかったのだ。
がちがちに凝り固まった自分の価値観の中で生きている私にとって、こどもは、そういったものをまっすぐにぶち壊してくる恐ろしい存在であり、関わるのにある程度の覚悟と勢いが必要だった。器用に手加減ができればよかったものの、生憎こちらは天下がとれるほどの負けず嫌い。大人であれこどもであれ、勝負には絶対に負けたくないのだ。他の大人にはない殺気立ったオーラが私にはあったのだろう、そりゃあこどもは寄り付かない。
私も私で、進んでこどもと関わることはなかった。要するに己自身がこどもだったというのが、この話のオチだ。

中学生のとき、職場体験で幼稚園に行った。自分で進んで体験場所に幼稚園を選んだわけではない。成り行き上そうなったのだ。
こどもに対する苦手意識を隠し持った私は、それでも精一杯、いつもの3倍くらいのテンションで幼稚園での時間を過ごした。その結果、職場体験での私は、控えめに言って大活躍だった(自己評価)。最終日に行ったレクリエーションの時間をプロデュースし、それが大成功を収めたからだ。しかし、担当したクラスの先生から最後に渡されたメッセージには「もっとこどもと楽しく関われたら良かったと思います」と書かれていて、それなりに傷ついた。自分の中では十分すぎるほどにこどもに寄り添ってすごした数日間だったからだ。だいたい、「楽しい」という感情は周りの環境が作り上げるものだと思う。自分の努力でどうこうなる話ではない。当時の私はそんなことを考え、拗ねた。14歳。まさに中二病真っ只中の私は自分の能力が発揮される場所はここではない、などとダサい言い訳をして幼稚園を後にした。

私には9歳年下の妹がいて、その存在によって、私ははじめて自分にも他の人より劣った部分があるのだと知った。ものすごく嫌味なふうに聞こえるだろうが、当時小学3年生の私は(私の中では)向かうところ敵なしだったのだ。「妹の面倒を見れない自分」「妹の面倒を見たくない自分」という新たな一面の発見により、私の(私の中での)全勝伝説は終わった。
宿題のノートにボールペンで落書きをしたり、筆箱を思い切り床に投げ捨てて悪魔のような笑い声をあげている妹。信じられないが、悪気はないらしい。信じられないが。
年の離れた兄弟のいる同級生は、やさしい眼差しで彼らに接し、かわいいかわいいと言ってる。その様子を見ていると脳裏に浮かぶのは、寝ている私の髪の毛を信じられないほどの力でひっぱり、これまた悪魔のような笑い声をあげている妹。私には、可愛がれる感覚の方が特別なように感じられた。
私はこどもに対してコンプレックスのようなものを感じているのかもしれないと、今になって思うのだ。

私は小学生の頃、鼓笛隊に入っていた。
6年生の時には、まるで地響きかと思うほどの爆音で大太鼓をぶちかましていた。
そして今は、妹が6年生。彼女はトランペットを吹いている。この前の休日、私は久しぶりに鼓笛隊の出演するイベントを見に行った。会場につくと、最近入った子だろうか、見知らぬ女の子が話しかけてくる。マシンガンの数倍は破壊力がありそうなそのトーク力に関心しているとその子が突然、「あなた、気に入った」と言った。どうやら私は気に入られたらしい。なぜなのかは分からない。しかし私は次の瞬間から、その子のお仲間に取り囲まれハーレム状態となった。これは珍しい。ただ単にその子が変わり者だっただけかもしれないが、小さいこどもにはっきりと存在を認められたのは初めてであるような気がして、少し嬉しかった。
おそらく私の周りを取り巻いているであろう殺気立ったオーラが、少しずつ薄れてくれると良いと思った。

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