中根すあまの脳みその28
小学生の頃は、バレンタインがとても盛んだった。
というのも、放課後は外に出れば必ず誰かに会えるし、何時にどこどこね!と約束をしなくてもお菓子の交換ができる、その気軽さがそうさせたのだと思う。
小学校低学年のわたしは、アルミのカップにとかしたチョコを流し入れて固めたものを配っていた。
なぜ、もともと固まっているものをわざわざ溶かして、また固めるんだろう。はたしてそれを「手作り」と言うのだろうか。物体を破壊して、また元の形に戻す、それは究極に意味の無い行為なのではないか。と、チョコを溶かすたびにそんなことを考えていた。今でもはっきりと思い出せる。
そんなわたしのチョコは、溶かして固めるだけには終わらなかった。
わたしは、チョコを茶色い山に見立て、そこに「きのこの山」をさした。それを友達に配っていたのだ。この「きのこの山チョコ」のことを思い出すたびに、人間の価値観やセンスというのは、幼い頃から変わらないのだな、と思う。
だって、バレンタインのチョコにきのこの山がささってるなんてさ、最高にイカすじゃんね。
そんなわたしも18歳になり、
もともと固まっているチョコを溶かして、もういちど固めることの意味くらいはなんとなくわかったような気がしている。
バレンタインのチョコにきのこの山をさしていた、小学生のわたしよ。18歳のわたしは、毎日を焦りにあせってわけがわからなくなっているが、君のそのイカしたチョコを思い出して、なんだかわたしの人生はうまく行くような気がしているよ。
今年のバレンタインはくまの形をしたマフィンをつくった。
10年後のわたしは、20年後のわたしは、いったいどんなイカしたバレンタインを過ごしているのだろうか。
くまの耳を齧りながら、そんなことを思うのである。
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