中根すあまの脳みその177


うちの犬は、夜になると何かを訴えだす。
あたかも、自分は人間であると、人間の言葉が話せるといったふうに、説得力に満ちた表情で語りかけてくるのだ。
その訴えを受けた母は、慣れきった様子で、キッチンへ向かう。
「夜のひとくち」の時間なのだ。

去年、体調を崩し、食欲を失ってしまった彼に、この時間帯なら食べるかもと、実験的に与えたひとくち分のご飯。それが習慣となり、体調が回復した今でも続いているのだ。

この一連の流れを「夜のひとくち」と呼び始めたのは母である。
うちの母は、勝手につけた呼び名を、さも当然のように、まるでそれが100年前から世界中で使われてきたもののように使い始め、一家に浸透させてしまう特殊能力がある。

「ああ、夜のひとくちね」
と、当たり前かのように口にしているのを初めてきいたとき、私が咄嗟に連想したのは、邦ロックバンドである。
恋人と手を繋いで深夜のコンビニに行きアイスを食べながら帰る途中で月をみつけてうんたらかんたら、みたいな量産型エモを、重ためマッシュの男性ボーカルが、女性ボーカルかと間違えるようなウィスパーボイスで優しく歌い上げる、そんな邦ロックバンド。おそらく、ドラムは女性。東京のどこかの住宅街でラフに撮った、少し彩度をおとしたアーティスト写真までもが、ありありと思い浮かんだ。
しかし、今我が家にはなんの音楽も流れていない。そして、母のセリフはどうやら犬に向けられたものらしい。脳裏に浮かんだ、エモ邦ロックバンドの影は徐々に薄くなり、やがて消えた。
それから、毎晩恒例の「夜のひとくち」が行われる度に、私はこのありもしないバンドを思い浮かべることとなったのだ。

母のこの特殊能力に関しては、他にも例があるので、いつかまた紹介したい。
そして、さらっと初登場した犬についても、語るべきことが多すぎて、あえて語らずに来たが、少しずつ綴れたらと思う。

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