中根すあまの脳みその134

件のウイルスが世間を騒がせるようになって困ることと言ったら、それはもう、たくさんあるのだが、ここでその人騒がせウイルスに対する恨みつらみを綴るつもりはない。金曜の夜にこれを読んでいる物好きたちも、そんな話題には飽き飽きしているだろうと思うからだ。
しかし、まあ、ウイルスというのは本当に存在するのだろうか。目に見えないものは信じるなという、潜在的な意識が私に問いかける。愛だとか、友情だとか、正義だとか、目に見えないものの存在はいつだって我々を惑わすが、結局のところ、そんなものはありませーん、で終わる話ばかりではないか。例の出しゃばりウイルスも、数年後、そんなものはありませーん、といって人類を盛大にコケさせるかもしれない。

検温。
人騒がせ出しゃばりウイルスが、人類にちょっかいを出し始めるようになって、突然身近になったその行為。近頃はもはや、言われる前に手首を差し出すことによって、協力的な客、はたまた、スマートな人間を演出しようとさえしている(そういうときに限って額での検温を求められたりする)私である。しかし、検温という行為が人々に浸透するにつれて、そのシステムも発達し、それが私を大いに苦しめることとなったのだ。

タブレット端末の画面に自分の顔をうつし、体温を測る。
そういったシステムを導入する店や施設が多くなった。そんなことができてしまうのかと、素直に感心する。しかし、そこには落とし穴があった。
私は顔が薄い。毎朝1時間の顔面図画工作によってなんとか人間の顔として認識できるレベルに達しているが、それでも目の印象というのは極めて薄い。それ故にマスクの存在というのは、私のアイデンティティを揺るがす重大な障害であるのだ。しかし、検温をするときには大抵マスクをし、目だけを出した状態である。
さて、なにが起こるのか。
顔が、認識されない。ひたすらに認識されない。目をこれ以上ないくらいにかっぴらいても、顔を上下左右に動かして必死のアピールをしても、前髪をあげて額を全開にしても、私の顔が顔として認識されることはない。認識される気配すらない。しかたがないから、マスクを顎にずらす。それでも認識されない。これに関してはもう、意味が分からない。
想像してみてほしい。そのときの私の姿を。かける言葉を失う友人、迷惑そうに咳ばらいをする後ろの客、冷笑を浮かべる店員、そして、顔が認識されない私。

挫ける。
そのときの心境を一言で表すなら、紛れもなく、この言葉だろう。これ以上の言葉はいらない。ただただ、ひたすらに、挫ける。
それでも私は笑顔をつくって、勇敢に、こう言うのだ。その場にいるすべての人間に降伏の意を伝えるべく「アハハ、なんか、反応しないです、アハハ」と。
世界中の技術者たちが、一刻も早く顔認証の精度を上げてくれることを願って、今日も、私は生きる。

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