中根すあまの脳みその123

面接には受かる。
それが私という人間を表す上で非常に分かりやすい言葉だった。尊敬する大学の教授が、私のことを「あなた、弁が立つから」と言ったとき、長年抱き続けていた自分に対する疑問がふっと消えてなくなったことを覚えている。
弁が立つから、面接には受かるのだ。
バイトも、大学のAO入試も、面接だから受かる。問題は、受かったあとの話なのだが、それはまあ、一旦置いといて。今回は、私が生まれて初めて面接というものをして、それに受かり、働くことになった、ある洋食屋の話をしたいと思う。

幼い頃、お子様ランチのプレートにのっているような、所謂「子どもの好きそうなメニュー」が苦手だった。ハンバーグとか、ナポリタンとか、ポテトサラダとか。色がごてごてしていて、境目なく料理がひしめいている様子が、その頃の私にとってどうにも受け入れ難い光景だったのだ。恐ろしいとさえ思っていた。「洋食」という響きそのものに拒否反応があった私は、当然その洋食屋に行きたいとおもうことはなく、家から数分の距離にあるにも関わらず、その店に入ったことはほぼなかった。高校1年生の私は、そんな場所をはじめてのバイト先に選んだ。その頃にはもう、洋食に対する嫌悪感もなくなっていたし、なにより、こぢんまりとした個人経営のその店はなんだかあたたかく、ぬくもりがあって、きっと素敵なバイトライフを過ごせるだろうと思えたのだ。

ありもしないその店での思い出を、口から出るままにつらつらと語ってみせた私は、面接を難なく突破し、無事、そこで働くことになった。たとえ人を良い気持ちにさせる嘘であっても、嘘は嘘であり、許させるものではないということに気づくのは、私という人間が失敗の経験をもう少し重ねてからのことである。
実際、その店はすごくアットホームで居心地の良い、素敵なお店であった。呪文のようなメニューの名前が上手く言えなかったり、手際よく洗い物ができなかったり、先輩のお姉さんたちがまるで能面のように怖い顔をしていて聞きたいことが聞けなかったり、試練は次々訪れたが、なんとかかんとかやりすごして、週3日、およそ4時間の労働をこなしていた。

その店はご飯の量が、少なめ、普通、中盛り、大盛りと、4種類あった。しかし、この表現には語弊があって、その実、少なめが一般的な普通、普通が大盛り、中盛りが特盛、大盛りがメガ盛り、といったふうに、そもそものご飯の量が極めて多く設定されていた。
大盛りなんて、育ち盛りの少年漫画の主人公がかき込むような、フィクションでしか有り得ないような見た目をしていて、当然そのようにご飯を盛るにはそれなりの技術が必要であった。働き始めてから1ヶ月経って、ようやくその訓練を修了し、お客さんに出すご飯を用意することを許されたとき、ある問題が浮上した。
来店したのは、女性の2人組だった。
特にご飯の量の指定はなく、通常通りの注文をしたので、私は迷うことなく普通の量のご飯を盛る。するとその様子を見たオーナーの奥さん(店を取り仕切るボス)が「女性なんだから、普通じゃ多いでしょ。お客さんをみて判断しなさい」と言った。その瞬間、私の中の何かが完全に終わってしまった。奥さんの言う通りにしたくない。だって、お客さんは何も言っていない。見た目だけで「たくさん食べない」と決めつけて、あらかじめ少なめに盛るなんて、そんなのおかしい。第一、そんなふうにご飯の量をこちらで決めてしまったら、大柄な男性には最初から大盛りなのか?華奢な男性ならどうか?見るからによく食べそうな子どもは?そんなのキリがないじゃないか。こうなったら私はもう、終わりなのだ。誰がなんと言おうと変われない。変わるつもりもない。
その後も私は、女性のお客さんに対して普通の量のご飯を盛り続けた。奥さんに何を言われても、「は〜い」と愛想のよい返事だけをして、普通の量を盛り続けた。でももう駄目だ。ここでは働けない。私の中に疑念の心が生まれてしまったから。私は、私の中の何かが終わったあの日の、2週間後にバイトを辞めた。
自分のちっぽけな正義に背くことがあの頃の私にはできなかった。例えそれが、必要なことだったとしても。
きっとあの店にはぬくもりがありすぎたのだ。
そして、私には少しばかり、ぬくもりが足りなかったのだ。

バイト帰りに持たせてくれた、焼いた鶏皮の味。料理に使わない部分だからといって、大量に持たせてくれた。腹ぺこだった私は家まで待てずに、自転車を漕ぎながら貪っていた。
普段は怖い先輩のお姉さんが、ご機嫌のときにお茶目な笑顔で渡してくれた、毒々しい色の青りんごジュース。かき氷用のシロップを水で割って作ってくれた。奥さんには内緒なのでこっそり飲んだ。
土曜日の昼、賑わう店内の景色。平日の夜、しっとり落ち着いた店内の景色。
その記憶を反芻するたびに思う。
私、あのときよりも少しは、融通の効く人間になれただろうか。
面接に受かるだけでなく、その場所で長く愛される人間になりたいと願う今日この頃である。

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