中根すあまの脳みその192
洋服のサイズとブランドを把握することが仕事たりえる場所で働いている。
初対面の洋服に、その正体を問う。
君はどこから来たのか、どのような人間のためにつくられたのか。
答えは、大抵すその裏側か、人間が着用したときのちょうど首の当たりに隠れている。
隠れている、場合はいいのだが。
困ってしまうのは、それらの情報の提示がない場合。のっぺらぼうな姿からはなにも読み取れない。わたしは仕事ができない。
ブランドはともかく(ない場合もあるし)、サイズに関しては、どうしても知らなくてはならないのだ。仕方がないので、己の感覚に頼る。こりゃMだな。ああ、Mだ。
厳しい職場であればそんなことは許されないだろう。しかしわたしがいるのは、3年間鬼のローテーションで履き続けられたパンツのゴムのようにゆるい場所だ。わたしがMと思えばMなのだ。怖い。
もちろん、表記なし、と表記はする。
しかしまあ、表記なし、という表記ほど無駄なものはない。結局わたしが自らの独断と偏見で決めたM、のほうが効力を持ってしまうのは確かだ。
サイズ表記というのは厄介で、国やつくられた時期、ブランドごとに基準や表記の方法が異なっているのだ。
同じような大きさの服が、サイズ40であったり、0であったり、はたまた、Aであったり。SMLのどれかの文字を見た時に、思わず安堵のため息を漏らしてしまうほどに様々なのである。
スーパーモデルしか履けなさそうな、ふざけたウエストのスカートと、私でも試着なしで買えるような、ウエストにゆとりのあるスカートがどちらもサイズ38だったりする。
一体、なんの数字だと言うのか。
その、情報の曖昧さに辟易する。
サイズ表記なんてものはもう、なんのあてにもならない。もはや、そんな概念はなくてもいいのではないか。
私はもう、信じられない。なにも。
一日の仕事を終える頃には、もう、だいたいこのようにサイズ表記不信に陥っている。
ブランド名に関してはひとつだけ。
ブランドロゴを筆記体にしないでください。
よめません。
そこにある洋服そのものしか情報がない場合、どこのブランドのものかを知るには、タグなどに印刷されたブランドロゴをみるしか(基本的には方法が)ない。それが、ある程度デフォルメされたデザインだったとしても、1文字でも読み取れれば、そこからいくらでも調べられる。
だけど、筆記体は。
その、1文字すら読み取れないことがある。
何度目を凝らしてみても、うにょうにょとした棒にしか見えない。そもそも、英語なのかフランス語なのかイタリア語なのかなんなのか、それすらも分からないのだ。
そんなブランドある?と疑うだろうか。
これが結構多いのだ。
ブランドというのは世の中に無数にある。そこからひとつを特定するのに、情報が筆記体のみだなんて、あまりに難儀だ。なんだか、そんなわたしを嘲笑う声が聞こえてくるような気がする、筆記体から。
しかしまあ、それが洋服の愛おしさでもあるような気もする。一つとして同じものはないから、もともと特別なオンリーワンなのだ。
そう、人間と同じで。
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