中根すあまの脳みその207

険しい顔で空腹を耐え凌ぐ帰りの電車。
時刻は21時。
途中でなにか食べることもできたが、万年減量中の私にその選択は憚られ、家でなるべく数字に影響がなさそうなものを食べるという決断をしたのだった。
それにしても過酷な状況である。
腹の虫が苦しそうに鳴き続けている。
さりげなく隣の人と向かいに立つ人の耳を確認する。ふたりともイヤフォンをしていた。
この音が届くことはまずないだろう。安堵する。

思い出すのは2年ほど前。
怪談を話す仕事があった。暗くて狭い部屋で、所謂”怖い話”をするときのテンションで、友達から聞いた話をもっともらしく伝えなければならなかったのだが、生憎、腹の虫は暴れていた。平然を装って話を続けるが、間抜けな音は鳴り止まない。胸元についたマイクがこの音を拾っていないわけがないのだ。しかし、オチが来るまで止めてはならない。その場から逃げ出したい気持ちを抑えながら話を終えると、カメラマンが口を開く。
あーなんか音入っちゃったんでもう1回撮りましょうか。
…はい。
腹の虫のコントロールなど人間にはできない。結局同じ話を5回ほどしたのだった。
顔から火が出る思いだった。

回想から現実に引き戻されたのは、鼻に暴力的な刺激を感じたから。
瞬間、私にはその正体がわかった。
赤と黄色のM。
いつだって、人々の食欲を刺激してやまないその紙袋を持った乗客が近くに座ったのだ。
いけないと分かっているのに、
適度に塩気のきいた細長いそれを勝手に想像してしまう脳内。
カリカリとふにゃふにゃとどっちが好きですか。私はふにゃふにゃが好きです。幼い頃はカリカリをつぶしてふにゃふにゃに改造してから食べていました。
あまりの空腹になぜか、心の中の私が早口でなにか語っている。
電車よ。
一刻も早く私を、最寄り駅まで送り届けてくれ。
こんなにも、電車の到着を心待ちにしたことがあっただろうか。

帰宅すると案外、
腹の虫は静かになっていて、なんとも言えない複雑な気持ちになったのであった。

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