中根すあまの脳みその88

今週、私は毎日学校に行った。
ごく当たり前のことのように思えるが、大学生になってから数えるほどしか教室で授業を受けていない私にとっては、極めて重大なことである。

昨年度、私のとっていた科目はほぼすべてオンラインで行われた。唯一体育だけが対面授業だったため、私は週に一度バドミントンをするためだけに学校に行っていた。自分が大学生なのか、バドミントンクラブに所属しているニートなのか分からない生活を送っていたのだ。
そんな私が、いきなり大学生らしい日々に身を投じる。
たった30分ほどの授業動画をベッドに寝転がりながらみることしかしていない私が、いきなり100分の講義を受けるなんて。体育館の場所しか知らない私が、いきなり大学で一日を過ごすなんて。どうにも現実味のない話だと思っていたが、ごく当たり前に新学期は始まった。

そもそも私は電車通学すら初めてだ。
最寄りの無人駅(私は神奈川の僻地に住んでいる)が、昼間はぽつぽつとしか人がいないホームが、早朝は人で溢れているということを知った。1時間ちょっとの電車移動は恐ろしいほど読書が進むということを知った。早起きはすべての物事のなかで一番嫌いだが、起きてしまえばなかなか気分が良い。自分はまっとうに生きているんだ、という充実感で満たされる。
これだ、これなのだ。
去年の私にはこれがなかった。ちゃんと生きているぞ、と胸を張ることができなかった。そんな自分が許せなかった。のんびりできるのは幸せだったが、罪悪感や焦燥感が心を乱し、体は元気でも心は疲れていた気がする。やるべきことがない分、思考が自分の内面に集中し、余計なことまで考えてしまっていた。多少しんどいくらいの方が精神的に楽だという事を、特殊な日々の中で学んだ。

学校につくと、人がたくさんいた。知り合いを見つけて手を振る。楽しい気持ちになった。
教室にも人がいる。顔の下半分は見えないし、席は一つ分離れているが、自分ではない誰かが周りにたくさんいる。ひどく特別なことのように思えた。
初回の授業なので自己紹介をする。
アニメが好きな人、ゲームが好きな人、ディズニーランドが好きな人、植物を育てることが好きな人。当たり前だけど全員が違っていて、私はそのひとりひとりと仲良くなりたいと思った。
今までそんなこと考えたこともなかったが、なんだか今の自分ならそれができるような気がした。
授業が終わって、近くの席の人たちと会話をする。
良い人と思われるように、みんなに満遍なく発言のタイミングが与えられるように、沈黙が続かないように、ひとりで勝手に奮闘する。気を付けるべきことの多さに眩暈を覚えた。適当なところで切り上げ教室を出ると、先ほどまでの自分の態度が酷く滑稽なもののように思えて気が滅入る。口角に疲労を感じながら私は、やっぱり誰とも仲良くしたくないし、仲良くできないと思った。

はじめての“大学生らしい生活”では、新しい発見が数え切れぬほどにあった。
だがそれは、高校生の私がごく当たり前だと認識していたことであり、厳密にいえば新しくはない発見なのだが、今の私には新鮮に感ぜられる。
人間とは、忘れることが得意な生き物であることを痛感した。
それと同時に人間とは、適応することも得意な生き物である。この生活もあと1週間もすれば日常に成り下がり、徐々に怠けていくような気がしてならない。
その時には、バドミントンクラブのニートだったあの頃を思い出し、現状に感謝する心を取り戻したい。


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