中根すあまの脳みその17

ついこの間席替えをして、廊下側のいちばん前の席になった。
誰かがドアを開けるたびに北極さながらの冷気が入り込み、ひざ上のスカートをはいた足は常にガクブル。暖房の真下でぬくぬくと居眠りをしているクラスメイトにキレるのを何とか我慢している今日この頃だ。地球温暖化だと騒ぐ社会の教科書がうさん臭く感じられるほどの寒さ。おいしいものをたくさん食べて、そろそろ冬眠の支度をしようと思う。


来週はテスト期間だ。体を動かすことが何よりも苦痛なわたしとしては、体育の授業がないという1点においてのみ、テストの存在には感謝しているが、やはりテストは学生にとって永遠の敵。憂鬱だ。
遡ること5年前、わたしが中学1年生だったころ。真面目な優等生だった(と自負している)わたしは、毎日授業が進んだ分だけ何冊もの問題集で復習し、次の日の授業に備えていた。当然テスト勉強にも命を懸けていて、一生懸命に勉強しすぎて知恵熱を出したこともある。
当時から大見栄っ張りでプライドがエベレスト級だったわたしは、もし自分がテストで悪い点数を取ったら、と思うと怖くて怖くて、その気持ちだけを頼りに良い点数を維持していた。国語は得意であまり苦労はしなかったのだが、数学に関しては親が脳の病気を疑うほどに苦手だった。授業中の説明だけでは理解できないので、家で問題集の解説とにらめっこをしてなんとかかんとか問題を解いていた。血と涙の末の、80点だった。
そうやってどうにか『テストで良い点を取る自分』を守っていたのだが、それがある日、急にできなくなった。当時わたしは、学校で出された課題を米粒よりも小さい文字でびっしりと埋めて提出していたのだが、時間と労力をたっぷり使って完成させたその課題を、『写させて~』といとも簡単に自分のものにしてしまう人がいた。テスト前になってもへらへら遊んでいて、テストで悪い点を取ってもへらへらしていて、大人たちはそれを見て『しょうがないな~』と笑っていた。それまで全然気にしていなかった『楽して生きてる』人たちの存在が急に目につくようになり、自分のしていたことがどーでもいいことのように思えてきたのだ。やる気がなくなった。やる意味がわからなくなった。自分も楽をしたいと、そればかり考えるようになった。そこからわたしの成績は転落の一途を辿った。
話はそれるが、わたしは去年およそ17キロのダイエットに成功した。
ある日急に、デブな自分が、デブなことに理由をつけて許容し続けている自分がとてつもなく嫌になったのだ。
苦手な数学のテストの点数がひと桁であることに慣れ切ったある日、バカな自分が急に嫌になった。と、同時に、今まで中二病みたいにひねくれたふりをして、実際はただサボっていただけの自分がとても憎いと思った。他人が楽をしているとか、そんなことは自分の人生とは一切関係ないと思えるようになった。とはいえサボり癖がついているわたしは、まだまだ楽をしようとして失敗してしまうことがたくさんある。
サボった授業をもういちど受けることはできない。すなわちその時間に身につけられたであろう知識や経験のすべてを取り戻すことはおそらくできないが、これからの日々の中で新しい知識を学び、様々な経験を積んで、わたしの人生の中の空白を補えていけたらいいなと思うのであった。
と、ずいぶんと立派なことをつらつらと書いてきたわたしであったが、テスト直前の今日、
まだ教科書すら開いていない。まあ、人間なんてそんなもんだ。

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