中根すあまの脳みそ158

人間の不幸というのは、調節されている。
その状況において最も救いようのない、最悪の事態にはならないように、どこかで力が動いているように感じるのだ。
もちろん、神の存在をないものとしたくなるような、残酷な出来事というのはこの世の中にはある。しかし、それが、長い人類の歴史の中に溢れていることはなく、数え切れるだけだという事実を鑑みると、やはり不幸というのある程度調整されているように思えるのだ。そのため、人間の日常というのは存在しているのだ。

その日の私は、事務所のネタ見せに出かける予定であった。最近、ライブなどで披露しているネタは、幼稚園の先生が幼稚園児にシリアスな文豪の作品を紹介すると言うものであり、もうかれこれ3ヶ月くらい、そのシリーズのネタをちまちまと量産している。
幼稚園の先生を演じるので、ネタをするときにはいつも、黒いTシャツの上に可愛いくまのワッペンがついたエプロンを着て、下にはジャージを履く。それが衣装だ。
お笑いの現場というのは更衣室という概念がなく、女性は必然的にトイレで着替えることになる。そうは言っても、トイレはその場にいる全員が使う可能性があるものだし、長居はできない。そこで私は、衣装に着替える予定があるとき(尚且つ、私服姿をお客さんにみせる用事がないとき)には、ネタに使用する黒いTシャツをあらかじめ着ておき、下にはロングスカートを履くという解決策を編み出した。スカートを履いたままジャージを履くことで、何事もなかったかのように、着替えを終えることが出来る。もちろん、上の着替えは必要がない。

とはいっても私の愛しいワードローブの中に、ロングスカートというのは今、ひとつしかなかった。緑色のギンガムチェックのロングスカートだ。私の大好き(緑色)と愛してる(ギンガムチェック)が組み合わさってできた、奇跡のようなスカートである。しかも運良く定価の70パーセントオフで手に入ったという運命ぶり。近頃のネタ見せでは、このスカートが大活躍していた。
例にたがわず、この日もそれを履いていくことにした。
少し早めに家を出て、稽古場に着いてからネタの練習をしようと、いついかなる時もギリギリを生きている私とは思えない、スムーズな動きで準備を終わせ外に出た。いつもと少し違う化粧も上手くいった。出がけに母親に褒められた程だ。

今日のネタ見せはうまく行きそう。
そんなことを思いながら、自転車にまたがる。余裕がある日の自転車が好きだ。風が気持ちいい。るんるんだ。
若干調子に乗りながら、
家から数えてひとつめのカーブを曲がろうとしたところ、事態は急変、突然、物凄い力で自転車が後ろに引っ張られた。思わず転びそうになる。状況が掴めず、あたふたと振り向くと、スカートがタイヤに巻き込まれていた。布を少し引っ張ってみても、ビクともしない。それもそうだ。スカートはもう、何重にも巻きついてしまっている。

道のど真ん中で、
スカートと自転車が一体化してしまった女。
そこから一歩も動けない、女。
通り過ぎる、男子高校生の自転車。
彼は今、どう思っただろう。
私のこの、哀れな姿を見て。
まるで、ヒレが岩と岩の間に挟まってしまった人魚のような気持ちだった。
分かっている、そんないいものではない。

私は諦めて携帯の電源を入れ、母親に電話をする。先程、褒めてくれたばかりの母だ。まさか、その数分後に娘がこんな有様になっているなど、思ってもいなかっただろう。可笑しさに笑いが込み上げてきた。
急いで駆けつけた母の異様な手際の良さによって、無事、私のヒレ、もとい、スカートは救出された。しかし、スカートにはしっかり穴が空いており、大好きと愛してるが組み合わさった奇跡のスカート(しかも70パーセントオフ)とは、永遠の別れを余儀なくされたのだった。

この時は、己の悲劇のヒロインぶりに酔いしれるだけで何も考えていなかったのだが、後から振り返ってみると、この一件というのは極めて恐ろしい出来事であると捉えられる。
まず、私の母は平日、昼過ぎまで働いている。もし、私のネタ見せの時間がもっと早く、母がまだ帰ってきていなかったら。私はその場から動けなかっただろう。ネタ見せは遅刻。その上私は、心の優しい近所の誰かに目撃され、スカートが脱げかけたまま、あれやこれやと手を尽くされたかもしれない。有難い申し訳ない恥ずかしい。あまりの気まずさに目眩がする。
それにもし、スカートが巻き込まれたのが、もっと家から離れたところだったら。狭い歩道の途中だったら。大きな横断歩道の真ん中だったら。考えるだけで寒気がする。スカートがタイヤに巻き込まれた女によって、渋滞が起こったかもしれない。起こり得たのだ。
それどころか、命さえ奪われた可能性も否定できない。
まったく、恐ろしい話だ。

最悪の事態を想像していると、この程度の不幸で済んだことが、不思議に思えてきた。もはや、幸福な出来事だったのではないかと、そんな気さえしてくる。
そこで深く実感したのだ。
人間の不幸が調節されているおかげで、人間の日常は存在しているのだ、と。
なんとも奇妙な世界だ。

私がこの文章をもっていちばん伝えたいことは紛れもなく、ロングスカートを履いて自転車に乗る時には、思っている100億倍もの注意を払うべきだということである。
諸君、気をつけるべし

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