中根すあまの脳みその114
私の朝は、命がけである。
どれだけ早く眠りについても、どれだけ深い眠りについても、気持ちの良い目覚めがもたらされたことなど、産まれてこの方一度もない。布団に入ったときのしあわせな気持ちなど綺麗さっぱり消し去られ、目が覚めるとまず「今日も目覚めてしまった絶望」に苛まれる。人格すら違うような気がする、眠りにつく前の自分と目が覚めたときの自分とでは。諦めがつくまではその場から動けない。出発の時間が近づいていることなど分かっている。それでも体が動かないのだ。
もういい加減、と鉛のように重い体を起こしたその瞬間から、私の戦いは始まる。
「ギリギリでいつも生きていたいから」
かの有名なアイドルは、そう歌っていた。某事務所のアイドルにあまり関心がない私でも知っているあの曲である。私が幼稚園に通っていた頃に、園児たちがわけもわからず歌っていたことを今でも覚えている。当時はその歌詞の持つ意味など分からずに聞き流していたが、今では、激しい戦いを繰り広げている最中に、嫌でも脳裏にこびりついて離れない、私の朝のテーマソングになってしまった。
人間の脳みそが最も冴えわたる瞬間とは、絶対に遅れられない時間に追われているときなのではないかと私は考える。もう無理、間に合わない。いや無理、遅れられない。そんなとき、人間は非常に多くのことを、ひとつの脳みそで思案する。それは、残り時間から導き出す勝利の可能性であったり、より早く目的地まで辿り着ける交通手段の選択であったり、万が一遅れてしまったときの謝罪の言葉であったり、今の状況をより良く運ぶための方法のすべてを、脳みそをぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるさせて考えるのである。しかも、全力疾走しながらである。これだけ“生きている”瞬間が他にあるだろうか。
息が切れ、酸欠で目の前が霞む。次第に足が上がらなくなり、躓きそうになりながらも、進むことをやめない。脳みそはとうに容量オーバー、もはや融けてしまいそう。季節外れの汗が、前髪を濡らす。限界超えて、また超えて。もうすべてを投げ出してしまいたくなったとき、響き渡るメロディ。私はきっと、「ギリギリでいつも生きていたい」のだ。上手く呼吸ができない。こんな朝はもうたくさんだと思うけれど、今、まさに私の全身が、“生きている”と叫んでいる。絶体絶命の危機に立たされてこそ分かる、命の尊さ、すばらしさ。私はきっと、これを求めているのだ。
戦いは終盤、駅のホームへ向かう下りの階段。電車はもう来ている。この階段を降り、そのままドアという名のゴールテープを切れば、私の勝利が確定する。予感に胸をふくらませながら、一段一段素早く、かつ確実に降りていく。駆け込み乗車はルール違反、ひとつ息を吸ってから、私は電車に乗り込んだ。
正しい呼吸の仕方を忘れてしまった私を、乗客たちがチラチラと気にしているのが分かる。
しかしそんなことは関係ない。なぜなら私は、勝ったのだから。
このナミダ・ナゲキがいつか、未来へのステップになることを信じて、
私はこれからも、リアルを手に入れたいと思う。
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