中根すあまの脳みその31

チリコンカーンが嫌いだった。
嫌い、という単純な言葉では収まりきらないくらい、もはやそれは、恐怖といっても差し支えない程の感情だった。

ここで言うチリコンカーンとは、ひき肉、玉ねぎ、大豆をトマトと一緒に煮込んだ料理のことで、私の通っていた小学校の給食に月に1回くらいのペースで登場していた。
わたしはこのチリコンカーンが物凄く嫌いで、給食に登場する1週間くらい前からその日が憂鬱になるくらい、当日は学校を休むと駄々をこねるくらいに嫌いだった。嫌悪していた。
チリコンカーンには必ず、「スライスコッペパン」という、普通のコッペパンのまんなかに線が入っているものがお供していた。
これは要するに、「このコッペパンに、チリコンカーンを詰めて食べてね♡」という、給食のおばちゃんたちの粋な計らいなのだが、生憎わたしはその頃、パンといっしょに何かを食べるという行為の意味がわからず、食パンをシチューにどっぷりと浸して食べている友達をまるで宇宙人のように思っていたため、ただでさえ嫌いなチリコンカーンをコッペパンにたっぷりと詰めて頬張っているクラスメイトたちが、気味が悪くて、気持ちが悪くて仕方がなかった。

そもそもわたしはなぜ、チリコンカーンがそこまで嫌いだったのか。
正直、今ではわからない。当時は心の底から忌み嫌っていたのだが、わたしの記憶の中でのチリコンカーンの味は、そこまで悪くなかったような気がするのだ。
実のところ、給食終了5分前まで食べずに粘っていたチリコンカーンは、給食当番が食器を返しに行く頃には、わたしのお腹の中に収まっていた。
そのときわたしはこう思ったのだ
「そこまでまずくなかったな」と。


それでも毎月わたしは迫り来るチリコンカーンに顔をしかめ、恐れおののいていた。
「チリコンカーン食べたくないから学校行かない!!! 」そう言って母を困らせていた。
今考えると、可笑しくて笑ってしまうような話だが、当時のわたしは真剣だった。
真剣に、チリコンカーンと戦っていた。

「2階のトイレに花子さんが出た!」とクラスの男子が叫び、大勢でトイレに向かっていくときのなんとも言えない高揚感、運動会の前の日の
笑い転げたくなるような泣き出したくなるような興奮と切なさ、担任の先生に怒られてしまったときの世界の終わりのような絶望、まだ幼い感情というのはまっすぐで、極端で、 可笑しい。
わたしのチリコンカーンとの死闘もきっと、それらと同じ類のものだ。

ちなみにわたしは今でも、パンに何かを挟んで食べるのはあまり好きではない。
だけど、食パンをシチューにどっぷりと浸して食べている人を見ても、ちゃんと人間だと認識する。
多少は大人になったのだろうか。

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