中根すあまの脳みその50

帰り道、中央線に乗り込む。
よっこらせと腰を下ろしたら、隣にかわいい女の子が座っていた。
“かわいい“には人それぞれの判断基準があるが、その女の子は私の”かわいい“のド直球ド真ん中を駆け抜けていたので、なんだかダサいところを見せたくない、中学生男子のようなマインドに陥ってしまい、背筋を伸ばしてみたり、鏡を見て化粧の崩れ具合を確認したり、無意味にそわそわしてしまった。
横目でこそっと確認すると、長い黒髪に黒いワンピース、白い肌、マスクの下(飲み物を飲んでいるときに見えた)の真紅のリップが、何とも言えぬコントラストを生み出していて、無機質な電車の中で彼女だけが際立って見えていた。
マスクが黒なのもまた良かった。黒いマスクはどうしてもギラギラ、イケイケ、ウェイウェイ、といった雰囲気を感じてしまい、好きになれなかったが、彼女がつけるとそれも含めて衣装であるというように、しっくりと来ていた。
ふと己の姿を思い返す。
古着屋さんで買った、レゴのロゴが入った赤いポロシャツにデニムの短パン、髪の毛は小さいリボンのゴムで三つ編みにくくり、ほっぺたはチークでピンク色にしている。
私の“かわいい”のド直球ド真ん中を疾走するいでたちだ。
隣の女の子は“かわいい”。でも、私はそれを体現しようとはしない。
世の中には観賞用の“かわいい”と実用的な“かわいい”があるのだなと、そんなことを考えた。

暫く電車に揺られていると、隣の女の子がスマホで動画を見始めた。
分かっている。人様の携帯の画面をのぞいてはいけない。いけないのだ。これは人間として、やってはいけないことだ。分かっている。
先に言っておくが私は断じて覗いてなどいない。
たまたまそのときに背中が痛くなって(私は猫背なので、肩甲骨のあたりがいつもしんどい)、小さく伸びをするような姿勢をとったのだ。偶然、これは本当に偶然なのだが、そのときに、彼女のスマホの画面が、すこーーし、すこーーーしだけ、目の端っこに映り込んできた。
お分かりだろうが、偶然だ。偶然だが、私の目と脳みそはしっかりと確認した。
それは、アイドルの、いわゆる“地下アイドル”の、ライブ映像だった。
私は、“かわいい”女の子を見つめることを日々の癒しとしているので、そういった、まだ世に広く知られていないアイドルに関する知識は少なからず持っている。彼女が見ていたのは、そんな私が目を輝かせて見ていた、あのグループの、あの動画だったのだ。
そうか、この子は同志だったのか。
この子は私と同じ“かわいい”を見ていた。それがなんだかうれしかった。
勝手に熱くなる心、思わず声をかけてしまいそうになるのを慌てておさえる。
そのとき私は考えた、“かわいい”はどんな壁をも越えられる、と。

どこかの駅で電車が止まった。
立ち上がる、隣の彼女。揺れる髪の毛。
そのとき、黒の中に、きらきらした青がふわりと飛び出した。
ティンセル。ラメが入った装飾用のエクステが、彼女の黒髪の中に混ざっていたのだ。
その輝きに目を奪われていると、あっという間に彼女は電車を降りて行った。
その華奢な腕に、不自然なくらい大きな衣装ケースを持って。

咄嗟に、漫才師か?と疑ってしまうのは芸人の性だろう。
冷静に考えれば、彼女が、なにか衣装を着て人前に立つようなことをしている可能性が高い。
となると、さっき彼女があの動画をみていたことも、また違った意味に捉えられる。
“かわいい”は強いなあ。そんなことを考えながら、私は心の中で彼女に叫ぶ。
「もしあなたを見つけたら、私、絶対推します!!!!」と。

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