中根すあまの脳みその232

何も予定がない日の昼にひたすらに眠り続けてしまうのは、自分の力で無理やり動かすしかない現実の世界より、なにもしなくてもおかしな方へおかしな方へと進んでいく夢の世界の方が、過ごしていて楽だからだろう。
昼見る夢というのは、夜お行儀よく収まるベッドの中で見るものよりずっとおかしな世界観を誇るのだから尚更だ。
加えて夢の世界の中で私は、ここが夢だということを無意識のうちに理解していることが多いため、例え自分が不利な状況がそこにあったとしても、焦ることなく、他人事のまま、楽しむことが出来るのだ。嬉しい出来事もぬか喜びせずにすむ。
現実世界においても、他人事でいられたら楽なのかもしれない。自分の人生というのは別のところにあり、今生きているのはあくまでも、他の何かだとしたら。適度に肩の力を抜いて生きていけるだろうか。
よく思い浮かべるのは、膨大な選択肢の中からひとつを選びとる心もとない自分の姿。
さすがに当事者すぎる。人生において他人事になれる瞬間など存在しない。己の人生は己のものでしかないのだから。
だからこそ、全てにおいて無責任でいられる夢の世界というのは居心地がいい。
ついつい長居しすぎてしまっては、いつのまにか暗くなっている空に悲痛な叫びをもらす。

ひとりの時間が好きだと思っていたが、
どうやらそうではないらしい。
最近気づいた。
長い時間ひとりでいると、我に返って、我に返って、我に返って、結果、我に返りすぎて、我を忘れる。
我ほど忘れたくないものはないじゃないか。
その点、夢の世界ではまず、ひとりきりということがない。それもまた、ひたすらに眠りこけてしまう理由のひとつなのかもしれない。

眠りこけるという表現は間抜けで、私に似合っていると思う。
なんとなく意味を調べてみたら、
「正体なくすっかり眠り込む」ことらしい。
たしかに、
眠りこけているときの私に正体などないよなあ、と考えながら、昨日見た夢でのおかしな
出来事を、なんとなくメモした。

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