中根すあまの脳みその69


小学生の頃、給食に麻婆豆腐が出た。

あの頃の私は今とは違って少食で、好き嫌いも多く、今日は食べられるか?苦手なものはないか?、と毎日はらはらしながら献立表を眺めていたことをよく覚えている。

その中で麻婆豆腐は、数少ない私のお気に入りメニューであった。
我が家の食卓での麻婆豆腐の登場回数はかなり少なく、当時の私は、麻婆豆腐とはなんたるかをよくわかっていなかったのだが、小学生向けに甘めに味付けされたその麻婆豆腐はとても食べやすく、豆腐とひき肉の組み合わせは、幼心に相性が良いと感じた。

麻婆豆腐が登場する日には必ず、ナムルも一緒だった。
当時はなんとなく仲良しの料理なのかと思っていたが、今考えると中華料理の麻婆豆腐と韓国料理のナムルは全く別物である。
ただ、これがよく合うのだ。
食事を楽しむことが下手くそだった当時の私は、おいしいものとおいしいものを食べ合わせる、ということの素晴らしさをまだ知らなかった。刺身と酢飯を一緒に食らう、寿司という料理が奇跡のようなものであることも知らなかったし、ラーメンと炒飯と餃子の3点セットが、世界中のどんなヒーローよりも最強だということも知らなかった。
そんな私はある日、給食の麻婆豆腐を一口食べ、その余韻がまだ残っているうちに、間髪入れずに、ナムルを口に入れた。
瞬間、稲妻のようなものが私の頭の中に輝く。麻婆豆腐とナムルが手を取り合って、「おいしくし合っている」ことが、本能的にわかった。衝撃と喜び。その日から私は、料理と料理、食材と食材、食べ物と飲み物の相性を試しては楽しんだ。
麻婆豆腐とナムルに手を組ませた、私の小学校の栄養士さんに、私は一生感謝を忘れないだろう。

いや、そうではない、そうではないのだ。
私が本当にしたかったのはこの話ではない。大事なのはここからだ。

そのようにして私は給食の麻婆豆腐を楽しんでいたわけだが、その後、衝撃の事実が発覚することになる。
保護者向けに発行される「給食だより」をなんとなく読んでいると、ある記事に目が止まった。
それは、大豆についての記事であった。
「畑の肉」とも呼ばれる大豆の、栄養価の高さを賞賛する記事。私は、へーそうなんだーとなんとなく読み流す。子どもたちが無理なくたくさんの大豆が食べられるように、栄養士さんは様々な工夫をしているそうだ。
そりゃけっこう。おいしく栄養がとれるのにこしたことはない。ふむふむ。私は読み進める。

給食での工夫、例えば、麻婆豆腐のひき肉の代わりに大豆を使用するなどの…

麻婆豆腐のひき肉の代わりに大豆…
ひき肉の代わりに大豆…ひき肉に大豆…大豆…ひき肉のふりした大豆…偽物のひき肉…

ようやく状況を理解する。
おいしいと思っていた麻婆豆腐。ナムルとの組み合わせに衝撃を受けた麻婆豆腐。数少ない私のお気に入りメニュー。甘めの味付け、豆腐と、ひき肉…。

今までひき肉だと思っていたものが、そうではない何かだったなんて。肉だと思っていたものが、豆だったなんて。
初めての裏切り。初めて感じた「腸が煮えくり返る」感覚。ふつふつと湧き上がる怒り。
喜怒哀楽のうち、まだよくわかっていなかった「怒」の感情を、そのとき私は、知った。
「畑の肉」?ふざけるな。畑で生まれるのは植物だけだ。大豆は肉ではない。いくら中身が似ていたとしても、それは肉ではない。私は認めない。

バランスの良い食事、大切だ。大切だけれど、だからといって、私たちを騙すのは間違っている。
小学生だからって、味が分からないからって、舐めやがって。
麻婆豆腐のひき肉の代わりに大豆を使った、私の小学校の栄養士さんに、私は一生怒りを忘れないだろう。


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