中根すあまの脳みその27

冬のふとんほど恐ろしいものはないと思う。
(ちなみにうちにはこたつがない。それは、こたつが廃人製造機だということを一家全員が自覚しているからであり、ふとんよりこたつのほうが恐ろしい可能性は否定できない。その点ご了承いただきたい。)
朝、一晩の人間の熱を充分にたくわえて、ぬくぬくになったふとんというのは、驚く程に心地よく、戸惑ってしまうほどだ。
できることなら残りの一生をここで過ごしたい、この温度、この質感、そしてこの微睡むような眠気、もういい、どうだっていい、そんな気持ちにさせられる。
人間をここまで無防備にしてしまうふとんというのは本当に恐ろしい。
そこでわたしは考えた、「ふとん人間」の可能性について。「ふとん人間」とは、ふとんのような人間、すなわち、あたたかくぬくもりがあり、すべてを黙って受け止めてくれるような凄まじい包容力を備え、言葉遣いや所作がやわらかく、どこか愛嬌がある、そんな人間のことだ。
人間をここまで虜にしてしまうふとんのような人間になれれば、きっといろいろうまくいくのではないか。我ながら名案だと思う。
今の自分を思い返してみる。わたしのふとん度はどれくらいのものだろうか。
うーーん。今より体重が20キロ近く多かった頃は、体育の時間に、「すあまちゃんってあったかいね」とか言いながら抱きついてくる女の子が数人いたような気がするが、それは脂肪による物理的な温かさと、ふくよかな人に対するイメージのおかげだろう。ふくよか=包容力みたいな感じするもんね。
そしてわたしは、「すべてを黙って受け入れる」
ことはできていないような気がする。失敗してしまった人、落ち込んでいる人がそばにいたら、余計なことをよくしゃべってしまうし、自分がなにかを指摘されたときには「いや、でもさー」とすかさず反論を始める。これじゃあ、全然ふとんじゃない。
さらに、テレビを見ているときの思い出したくもないような口の悪さ(詳細な記述は避けておく)、落ち着きがなく、ババくさい挙動(これは動くわたしを知っている人ならだれもが頷くだろう)、わたしとふとんの相違点は挙げればキリがないようだ。
うーん、愛嬌はちょっとあるかな。自称。
というわけで、わたしのふとん度は5パーセントが妥当だろう。
もしふとん人間になれたら、まわりにいる人やこれから出会う人みんなに好かれ、まず人間関係が良くなるだろう。そしてそれはきっとお仕事にも役立つ。
つまり、ふとん人間になれれば売れる!!
今日からわたしは、己のふとん度を上げるべく、ふとんの心を磨こうと思う。

…ふとんの心を磨く?
うーん、とりあえず、ふとんのことをよく知らないといけないなあ。

ダッダッダッダッ(2回に上がる音)
ガチャッ(自分の部屋のドアを開ける音)
ガサゴソガサゴソ(ベッドに潜る音)
むにゃむにゃむにゃ(眠りに落ちる音)

…やっぱ…ふとん…さいこーーー…

(ふとん人間への道のりは長いのである)

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