中根すあまの脳みその172

先日、ちゃんとした写真を撮影した。
ちゃんとした写真というのは、借りるのにお金がかかる場所で、その瞬間のためにそわそわと身だしなみを整えるなどの準備をし、スマホのカメラではないカメラで撮影したもののことを指すと、わたしはひっそりと定義づけている。

劇団を勝手に始めてから、この機会は増えた。何故かと言うと、私が増やしているからだ。仕事のない地下芸人に、ちゃんとした写真を撮影をする機会などほとんどない。ましてや普通に生きているだけでは、スマホ以外のカメラで撮影されることなどほぼ、ないだろう。もっともスマホのカメラに関しては、若い女というだけで、撮られる機会は極端に多いわけであるが。
その事に気づいたのは、ちゃんとした写真を撮る機会を、自分で増やすようになってからである。そしてそれと同時に、写真は撮る方だけでなく、撮られる方にも技術が必要であると、思い知らされたのである。

写真写りはいいほうだと思っていた。
撮られるのも、嫌じゃない。むしろ、好きなはずだ。しかし、いざ、”ちゃんと”撮られるとなると、まるで、緊張で頭が真っ白になったように、それまでの自分のことを忘れてしまう。
えっと、笑顔って…
笑顔ってどうやってつくるんでしたっけ
間抜けな疑問が脳内に浮かび上がる。
なんとかかんとかして笑顔をつくってみても、次は体が動かない。
えっと、ポーズって
ポーズってどうやってとるんでしたっけ
間抜けな疑問に加え、ぎこちなさ全開の自分の姿が脳内に浮かび上がる。
仕上がりをみれば、大抵、そのイメージほどぎこちなくない。自分を客観視するときの自分というのは、何故こうも、ネガティブに誇張してくるのだろうか。やめてほしい。

写真を撮られている時間というのは、要するにまあ、暇なのだ。そうすると、顔の筋肉の動かし方や、手や足の位置など、ささやかすぎて普段気にならないようなところにまで、神経が通ってしまう。あれ?普段どうしてたっけ?と、なってしまう。
表情も動きも、引き出されて現れるものだから、その過程をわかっていないというのは、考えてみれば自然なことである。

そんなことを考えながら、他の人が撮られているのを見ていた。カメラマンが指示を出す。「ちょっと、前髪をいじっているような感じで」と。言われた通り、前髪を触り、整えるような仕草をするその人。
するとその瞬間、その人の表情が、それまでとは全く違った、きらきらと輝いを帯びたものに変化したのだ。私は、驚いた。感動すら覚えた。
そしてそのわけを考える。

前髪。
前髪をいじるのは。

鏡だ。
鏡をみながら身だしなみを整える。
その瞬間が、前髪を触るという行為によって再現されたのだ。
それによって、新鮮な表情が引き出された。
わたしはひとり納得する。

そして心に誓うのだ。
次は自分もあのポーズをする、と。

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