中根すあまの脳みその65
先日、「水曜日のダウンタウン」という番組に、自分の姿が少しだけ映った。
それは、人気芸人たちの替え歌を芸歴3年以下の若手芸人が審査し、優勝者を決めるという企画で、私はその“若手芸人審査員”として収録に参加したのだ。
私なんてのはまだまだ芸も振る舞いも未熟なので、テレビ局に入っていくだけでもなんだか恐れ多い気持ちになる。それと同時に、シャンと背筋が伸びるような気持ちにもなるので、ついつい怠けてしまいがちな私としては、定期的にこういったお仕事があるとありがたいとも思う。
まず、受付で事務所と名前を伝えて入構所をもらわねばならない。
これが毎度毎度、恐ろしい。
「浅井企画の、中根すあまです」
「浅井企画の…中根、さん…」
「はい!よろしくお願いします…!」
「……」
この、“間”が怖い。受け付けのお姉さんが、なにか名簿のような書類に目を通している間の数秒、私は人知れず身を強張らせる。
これがまた、ちょっと時間がかかったりして、
「少々お待ちください」
とか言われちゃったりして、とたんに小心者の私の心はざわめきだすのだ。
えっ、大丈夫だよね、私、合ってるよね?
時間とか、大丈夫だよね?
てか、TBSでいいんだよね?
浅井企画の、中根すあまだよね、私って?
わずか3秒ほどの間に、不安という不安が頭の中を駆け巡る。
「はい、中根さんですね、」
お姉さんが私の存在を認めてくれた瞬間、すべての不安から解き放たれる。頭の中に用意していた、最悪の場合の想像をそっと打ち砕くと、私は入構所を手にしてぎこちなく歩き出す。
だが、油断してはならない。程なくして第二の関門、「入構所をかざして中に入る」が待ち受けているからだ。
これも毎度毎度、恐ろしい。
もしかしたら、私はやっぱり中に入るべき人間ではなくて、入構所をかざしても門は開かれないかもしれない。急に赤いランプがついたり、警報音が鳴ったりして、警備員さんに連れて行かれるかもしれない。周りの人に白い目で見られるかもしれない。
勝手すぎる想像が、これまたほんの数秒で頭の中を支配して、ついつい手元がもたつく。
恐る恐るかざしてみると、あっけなく門は開き、無事私は「水曜日のダウンタウン」の収録現場まで辿り着いたのだった。
いつか慣れる日が来るのだろうか、そんなことを考えながらスタジオの中へ入る。
えーーーーーーー、わ、わたし、ここですか?
これでもかと並べられたカメラたち、華やかなセット、せかせかと動き回る人間たち、緊張するしかないような空間に圧倒されていると、ひとりの男の人(おそらく、地位高めのスタッフさん)が私に向かってこう言う。
「そこの女の子、そう、水色の。ここ来てくれる?」
ここ?ここって、そこ?そこ、一番前の列ですけど?え、カメラ真ん前ですけど?
戸惑いが伝わらぬよう、「はい!」と元気よく返事をして自分を騙す。焦って足がちぐはぐになりつつも何とか席に着くと、すかさず私は思考に耽る。
この席は、絶対に映るな。ああ、映るとも。映らないわけがない。私の顔面が、数秒とはいえ全国のみなさんに届けられる。電波に乗って、各家庭へとお届けされる。この状況、芸人としては喜ばなくてはならないのだろうが、ひとりの小心者としては極めて恐ろしい心持ちである。ああ、こんなことを思っていては、また「芸人らしくない!」と言われてしまうぞ、だめだだめだ!
正面を見据えてひとつ息をする。
私は、芸人だ。怯えてはならない。カメラに向かって、その間抜けな顔を思う存分ひけらかすのだ。それでいい。それでいいのだ。
やがて収録は始まった。すぐに私は気づく。
どうしても笑顔が引きつってしまう。
心の中は可笑しくて可笑しくて仕方がないのに、表情筋がうまく機能しない。脳みそは困るくらいに冷静で、楽しい気持ちになることを可としない。
よく知っている番組に自分が参加しているという事実、「全国の人が見る」という事実、テレビで見知った人物が目の前にいるという事実、そんなことは考えるべきでないと分かっていても、客観的に自分を見ているもうひとりの自分が、それらを忘れさせてはくれない。
ふと落ちる沈黙に、テレビの中で引きつった笑いを浮かべる自分の姿を想像して、やりきれない気持ちになるのだった。
いつか慣れる日が来るのだろうか、そんなことを考えながらスタジオを後にするのだった。
放送された番組を見て、少しほっとした。あんなに引きつっていると思っていた笑顔も、それほど悪いものではなかったからだ。
胸の内まではカメラには映らない。その事実に気づけたことが、大きな収穫だと思った。
少しづつ、少しづつ慣れていくものなんだな。テレビの中で笑う自分を見ながら、そんなことを考えるのであった。
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