中根すあまの脳みその16

最近、YouTubeの番組に出演させていただいているのだが(ブックマちゃんという番組です、本の紹介しています!ぜひ見ていただきたい!)、あまりの目の細さに見るたびにゲンナリしてしまう。だって、毎朝一番時間かけてお化粧しているのに!!結構へこむのである。
芸人のくせにと思うだろうか。まあ、確かにわたしはまだ、多くの人の前に自分の姿を晒すことに慣れていない。それに加えて、もともと極度の見栄っ張りなので、少し髪の毛が乱れていたりするだけでも、はちゃめちゃに後悔するのだ。歯を食いしばって激しい後悔と戦っているとき、ああ向いていないなあ、と思う。まあ、「慣れ」なんだろうが、それがなかなか難しい。
例えばよくあるのが写真を撮るときの「変顔しよ!」。わたしはあれをひどく憎んでいる。
周りのみんなが高クオリティの変顔を繰り出しているなか、わたしはかたまってしまうのだ。
わたし以外の誰か、ちっとも知らない人の目にもはいるであろうその写真に、ふだんよりさらに醜い姿をしたわたしが映っているなんて苦痛でしかない。そんな考えが一瞬にしてよぎり、結局変顔ができないのだ。自分の顔が崩れるのがこわい。だが、その写真を見た友達は言うのだ、「あれ?ひとりだけやってないじゃん、裏切り者(笑)」。違うから!いや、まあ、そうなんだけど!
お芝居をしているときも困る。たとえばふたりでの会話のシーン。相手がわたしの顔(しかも演技中)を見ているという事実がわたしの集中力を低下させる。脳内は「顔変じゃないかな?」まみれ。これは本当によくない。あと困るのは、人前で表情を変えることが苦手なため、演技の中で喜怒哀楽が分かりにくいこと。普段から口角が微妙に上がっている顔なので、すべての表情が半笑いに見えてしまう。大きく表情を変えること、それを人に見られることが、心の底から怖い。ホラー映画よりも絶叫系アトラクションよりも怖い。
そもそもわたしはこんな人間ではなかった。中学生の時までは、デブでメガネで容姿に無頓着な典型的芋少女だったのだが、一時期声優に憧れていたことがあり、多くの売れている声優さんを見ていて悟ったのだ。「顔がよくないと、売れない」と。そこから長い時間をかけて今に至る。化粧を覚えて、激やせして、昔と比べたら見られる姿になったと思う。だがそれにともなって「醜いわたしへの恐怖」というのはひどくなっている気がする。
かっこいいコントがしたくて芸人になり、事務所に所属してからよく言われるようにったのが「恥を捨てきれていない」、「ネタをやりきれていない」そんな感じの言葉たち。この前ストレートに「演技がうまくない」と言われてしまってそれはそれは落ち込んだ。
悔しいのは全部事実だということ。せっかくネタを書いても、それ以前のところでつまづいていてはもったいない。そう思って今は訓練中だ。
結局ギリギリまで引退を延ばして演劇部に残り、役者をやろうと決めた。普段やっているネタでももっといろいろな表情を見せていきたいと思っている。あと、少しづつだが、親しい人の前では変顔ができるようになった。たくさんの経験を積んで、いつかもっとたくさんの感情を表現できる人間になりたいな。あ、最近はお客さんがとってくれた写真を見ても、ブスだ~ってあんまり落ち込まなくなったよ。成長成長。
わたしと同じようなこと思っている人がきっとたくさんいると思う。そういう人たちの希望になれたらいいな、なんてらしくないアツいこと思ったけど、やっぱきもちわるいのでなしでお願いします…。


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