中根すあまの脳みその170

電車に乗るとき。
ホームと電車の間の隙間に落ちてしまわないか不安になる。その空間は、いつだって、こちらが思っているより少し広いものだから、ふと、不安になる。
いや、まあ、いくら私でも、ひとりの人間として、そこへ落ちることはないのだけれど、死ぬまでに一度は、特別に不注意な日があって、この真っ暗な空間に、片足だけでも持っていかれてしまうのではないかと、真剣にそう思うのだ。
ホームと電車の間の隙間というのは、ちょうどそんな、"想像の余地"のようなものがある。

実際にその空間に落ちてみたとして、おそらく私は、思っていたより狭いな、と感じるだろう。自分の身長をもってそこを見下ろしたときには、いつも新鮮な気持ちで、思っていたより広いな、といちいち感じるくせに、思い切って飛び込んでみると、案外こんなもんかと拍子抜けしそうだ。
だいたい、そんなに広いのならもっと頻繁に、多くの人がそこへ落ちているはずだ。そうなっていない時点で、まあ、結局そこへ落ちる危険性などほぼないのだろう。

それとも、
私が知らないだけで、結構みんな気軽に落ちていたりするのだろうか。いや、気軽にっていうのは違う気がするけど。そりゃ落ちたら一定の恥ずかしさのようなものはあるだろうから、気軽には落ちないと思うけど。そんな重大なことではなく、案外、身近な事故として、失敗として、捉えられる範囲の事象だったりするのだろうか。
いや、それはさすがにないか。
電車が動いてしまったら大事だ。
いや、それを防ぐために、車掌さんが指差し確認をしているのか。
いや、でも。

調べてみた。
まず結論として、ホームと電車の隙間に落ちる事故というのは、稀にあるようだった。
実際に経験した方の話がインターネット上にちらほらみられた。そういった方たちが皆、その体験談を、一生忘れられない出来事として語っているから、そういった事故がそこまで身近なものではないことが分かる。

そして私は舐めていた。
あの空間に落ちるということを。
なんとなく私は、すぽっと、綺麗にあの隙間に嵌る人間の姿を想像していたが、実際には、落ちる過程で足を電車に強打したり、ホーム側の壁に擦って傷になったり、とりあえずどこかしらに怪我を追うことは避けられないようだ。そりゃあ、そうだ。私の頭の中がとんだお花畑だったことに気づく。
言い訳ではないが、それだけあの空間には現実離れした雰囲気がある。

興味深かったのは、
実際に落ちてしまった人は、極めて冷静であるのに対して、周りの人々が激しく動揺するという現象が、そこでは起きるらしい。何人かの体験談の中でそう綴られていた。
たしかに本人は、ホームと電車の間に嵌った自分の姿というのを客観的に認識することは出来ない。しかし、周りの人々の目には、その特異な、奇妙な光景というのがありありとうつしだされているのだ。この場合、その風景そのものが人間を混乱させるのかもしれない。
まあ、本人はあまりのことに、状況を受け止めきれていないということも考えられるが。

こうなってくると、1度落ちてみたいとさえ思えてくる。もちろん、そんな大迷惑なことはしない。しないが、ホームと電車の隙間という不思議な魔力を持った空間に、ますます興味を持ってしまいそうな、そんな気がする。

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