中根すあまの脳みその72

ショートケーキのてっぺんに乗るいちごについて、思うところがある。

幼い頃から、いちごの境遇に疑問を持っていた。果物のくせして好きな食べ物ランキング1位にくい込むようないちごの人気に、首を傾げるばかりだった。誤解してほしくないのは、私は別にいちごがまずいと言っているわけではない。たっぷり練乳をかければ普通においしい。でも、「普通に」だ。果たしてこれが、多くの人にとって特別な食べ物である「ショートケーキ」という食べ物に乗せるべき代物なのだろうか。

世間がいちごをもてはやし過ぎたという事実はもう、認めざるを得ないだろう。冷静に考えてみてほしい。いちごの実力というのは、他の果物と比べてそれほどまでに優れているだろうか。スペック的にみても、いちごが他の果物に勝っている点は特に思い当たらない。それなのに、人間たちはいちごに、ショートケーキの上という、ホテルで言ったら極上スイートルームのような、高貴な場所を用意した。私がいちごだったら、もう、鼻高々だ。

要は、人間がいちごを調子にのらせてしまったのだ。結果、必要以上に己の実力に誇りを持ってしまったいちごは、自分ひとりでも充分美味しい、周りの食材が私に合わせれば良いのだ、という極めて自己中心的な考えを持つようになる。人間界でもありがちな話だ。
そもそも料理というのは、食材たちが互いに歩み寄り、「美味」というひとつの目的に向かって力を合わせることで完成するものなのだ。
それなのにショートケーキのいちごといったら!生クリームやスポンジとコミュニケーションをとる気配など一切なく、ただてっぺんでお高くとまっているだけだ。生クリームやスポンジが困惑しているのが分かる。
カレーライスを食べる時にわざわざ、じゃがいもだけを取り出して、分けて食べる人はあまりいないだろう(特別大きなじゃがいもの場合を除いて)。だが、ショートケーキのいちごはどうだろう。いちごだけで食べる人が大多数ではないだろうか。それは、いちごがショートケーキの一部として存在しているのではなく、「ショートケーキに乗っている麗しい私」として存在しているからである。

ショートケーキのいちごから学ぶのは、謙虚な心を持ち続けることや、周りの人と協力してひとつの目的に向かうことの、難しさと重要性。
ひとりきりではおいしい料理は完成しない。
ひとりきりでは素晴らしい人生は歩めない。
いつかいちごにも、生クリームやスポンジと素直に手を組める日が訪れるのだろうか。

そんな事を考えながら、今年のクリスマスも幕を閉じるのであった。

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