中根すあまの脳みその111

夏休みも終わりに近づいたある日。
私は、極めて憂鬱な時間である事務所のネタ見せを終え、うきうき気分で稽古場を出ようとしていた。予定では、商店街にあるモードオフで古着を物色し、コンビニでアイスを買って、青空の下でそれを味わってから帰るという、ご機嫌な午後を過ごすつもりだった。靴を履き、一歩踏み出す。するとその時、ポケットの中の携帯が震えた。特に何も考えずに電源をいれ通知を確認すると、そこには見たこともない言語で書かれた文字の羅列が表示されていた。私は慌ててそれを確認する。なんども目で追っているうちにそれが、慣れ親しんだ日本語で書かれた文章であり、自分の脳みそがその内容を受け入れることを拒否しているだけだということが分かった。

夏休みの課題レポートをひとつ見落としていた。
要はこういうことだった。読み取り不可のメッセージは同じ授業をとっている友達からの進捗確認だったわけだが、私はその課題の存在すら知らなかったため、まったく訳の分からない、アラビア語の羅列(مساء الخير←こういうやつ)のように見えてしまったのだ。思考が停止するのが分かった。ただでさえ私には、まだ取り掛かっていないレポートが残っているのだ。とても締切に間に合う気がしない。脱力してしまいそうな体を引きずって入ったモードオフでは、すべての洋服が白Tシャツに見えたし、惰性で食したジャイアントコーンの味は、まるで石を齧っているようだった。

私は大学で大きく分けてふたつのことを勉強している。ひとつは舞台や物語のこと、もうひとつは教員免許取得のために必要なこと、である。舞台の勉強をしながら教員免許をとるのは、別の学部の授業をそれぞれ履修しなくてはならないので、なかなかにハードワークなのである。シェイクスピアの『ハムレット』を翻案した作家について調べながら、日本神話に登場する生き物たちの共通点を探り、浅草に古くから存在する演劇文化を調査しながら、キノコにつけられた和名について言語学的に説明する、というまったく別のジャンルについて同時に勉強するという、聖徳太子の進化系のようなことをしなければならない。私は聖徳太子ではないので、もちろん聖徳太子の進化系になるのは無理がある。つまり、大変なのだ。「大学生は暇だよ」と、私に囁いた人生の先輩方はみんな、私にジュースを奢ってほしいと思う。だってそんなの嘘だから。

レポートを書いていると、その難解さに、私は大学を卒業する頃には間違いなく「最強」になっているだろうと確信する。だがその実、待っているのは「社会人」になった自分でしかない。割に合わぬ。割に合わぬと思いながら、私はまた頭を抱える。
今書いているのは、奈良時代の医療についてのレポートである。
「最強」になれることを信じて、強く生きようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?