中根すあまの脳みその100


朝、ホームを目指すときにただようパンの香りほど、暴力的なものが他にあるだろうか。

その甘く香ばしい香りは、朝の寝ぼけた脳みそに強力なストレートをくらわせてくる。襲い来る眠気に瞬きを繰り返していた瞼は、突如現れた食欲にボッコボコに打ちのめされ、しかたなく覚醒する。

どこまでもやわらかく、やさしい香りのはずなのに、ここまで容赦がないのは何故なのか。
理由としてまず、パンの香りには助走がないということが挙げられる。例えば、帰り道に住宅街を横切ったときにただよう、カレーの香りや、出汁のよくきいた煮物の香り。これらは、緩やかにその存在を現す。香りを発している家の5件先くらいから、徐々に徐々に存在を示してくる。そのため、少しずつその香りに鼻が慣れ、心に余裕をもってそれを楽しむことができる。カレーや煮物の香りは、軽く助走を走ってから、本格的にスピードをあげていくのだ。だが、パンは違う。いきなり全力疾走。走り出した瞬間からフルパワー。それ故、やさしい香りのはずなのに、ここまで威力が強いのだ。

また、香り自体が熱を帯びているということも挙げられるだろう。大抵のパン屋の場合、店の中でパンを焼いている。すなわち、生まれたてほやほやの、湿度を多く含む香りがそこには充満していると考えられる。それが風にのせられ、通行人たちの鼻を襲うのだ。
熱は痛みとともに、痛みは熱とともにある。熱い湯に触れば火傷をするし、膝をすりむけば、その傷が酷ければ酷いほど強く発熱する。できたてのパンの香りというのは、そこに熱を宿しているために、あれほどの攻撃性を持っているのだ。まるで鼻を殴られたかのように鋭く突き抜ける”食欲”という名の衝撃。そこにはきっと、生まれたばかりのパンが発するパワー、すなわち熱が関係しているのだろう。

そこまで考えて私は、駅のパン屋というのはそのために存在しているのかもしれないと思い立つ。その暴力的なまでに魅力的な香りで、多忙な日々を過ごす人々の目覚めを助ける。日本が今日も朝から規則正しく動いているのは、もしかしたらパンの香りのおかげなのかもしれない。

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