中根すあまの脳みその176

恐れ多いと感じながら、芸人という職を名乗り始めて5年が経ったが、未だにその、恐れ多いと感じる心が消えない。というのも、人間の笑いとはあまりにも単純で、だからこそ複雑で、そうかと思えばやっぱり単純で、まあ要するによく分からないのだ。だからなんとなく、大声で、自分は芸人です!と言えないような心持ちになってしまう。
自分が何かに対して面白いと感じたとき、これは何がどのように面白いのか、なんとなく言葉で表現することはできても、それと、実際に笑い声を発している事、口角が上がっている事、つまり、“笑う“という行為そのものとつながっているというのが、どうにも不思議で仕方がない。何かしらに対して面白いと感じた瞬間にもう、自分は笑っているが、それって、瞬発力がありすぎやしないか。何が面白いのか、ちゃんと脳みそに伝達された上で笑っているのだとしたら、それって、瞬発力がありすぎやしないか。同じことを2回言ってしまった。悲しみも怒りも、そこまですぐにはやってこない。対象の事実が巡り巡って、感情として表現されていくという過程が感じられる。しかし、面白くて笑うときは違うような気がする。異様に脳の回転が早い、そんな気がする。それ故に、自分でも何が面白いのか分からないまま、無意識の領域で面白さを捉え、いつの間にか笑っている、というようなことが往々にしてある。かなり、本能的な部分が大きい。そんなことを考えれば考えるほど、人を笑わせるということが難しく感じられてならない。だから簡単だろう、という人もいそうだが。

劇団の某メンバーは、人のことをよく褒める。
服装や、化粧、持ち物、顔のつくりなど、外見的なことから、その人の人格的な、内面的な部分まで、良いところを発見し次第随時報告してくれる。それに加えて、とにかくいろんなことを心配してくれる。大丈夫?と聞いてくれる。そして、最終的にはお菓子をくれる。マジでいつもお菓子持ってる。彼女はなんというか、慈しみ深い人間なのだ。
いつだか、稽古のとき、彼女と他のメンバーが会話をしていた。
なにかを熱心に訴えているな~と、その様子を横目で見ていると、突然、彼女に訴えかけられていた方のメンバーが、弾けたように笑い出した。その勢いに驚いて、どうしたのかと聞くと、その人は、「…優しさが…でかすぎて…」と、必死にそう言った。
どうやら、褒められ、心配されすぎた結果、笑いが込み上げてきたようだった。
その事実に私もまた、考える暇もなく笑っているのだったが、これはわりと大きな発見のような気がして、爆笑が過ぎ去るのを待たずして、この状況を携帯のメモに綴っていた。
人間は、あまりにも大きな優しさを一身に受けたとき、笑ってしまう生き物らしい。
もしかしたら、それは、照れ笑いの進化系なのかな、などど考えながら私は、新しい笑いの可能性にわくわくするのだった。

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