中根すあまの脳みその173

私の2022年は大きくわけて、台湾カステラ前と台湾カステラ後に分けられる。

私の2022年はという枕詞を使う時期になったのだということを、未だに受け入れられない私ではあるが、それを受け入れる作業も兼ねて、ここに綴っていけたらと思う。

いや、そこじゃないよ説明するのは、と自分でも思った。
台湾カステラ前と台湾カステラ後。
もしかして、今私が発明した言葉かも、その異常性に今気づく。
説明を急ぐ。

9月。
夏の短編映画の撮影が終わり、しばし呑気な気持ちで夏の残りを楽しんだ後、私はアルバイトを始めた。地元の古着屋である。そのはずだった。私が面接を受けたのは間違いなく、古着屋だった。それなのに、初出勤は八王子駅の駅ビルの前であった。
駅ビルの前の催事スペースに、私は、いた。
事情としてはこうである。

私が働くことになった古着屋の店長が、催事業者の社長と友達で、そこの人手不足を、古着屋のアルバイト数名が助けることになった。

という次第であった。
従って私は、面接を受けたはずの古着屋より先に、付き合いで手伝うことになった催事の方に顔を出すことになったのだ。
そして、その催事スペースで売っていたものこそが、台湾カステラである。

そもそも私は、アルバイトが苦手であった。
働くのが下手なのである。レジ打ちや品出しなど全ての業務において、考えすぎが故に、とった行動が裏目に出る、出まくる。働いているように見えて実は空回りしているだけ。
そしてそれが、周りの人達に申し訳なくてしかたがない。ああごめんなさいごめんなさい、で、耐えられずやめてしまう。
それが、これまでの私のアルバイトの思い出の全てであった。

面接を受けた古着屋は、いつ通ってものんびりと時間が流れていた。だから、ここで働きたいと願ったのに、なんの前置きもなく放り込まれたのは、活気に満ちた駅構内。
私はぎゅっと拳を握りしめる。
あの頃とは違う。私はもう、負けない。
プリキュアさながら、弱い自分を奮い立たせ、私は、大量の台湾カステラを前に誓う。
ひとつでも多くのカステラを売ることを。

実際、私はだめだめだった。
何がダメって、レジがダメ。算数からついていけてない私に、アナログなタイプの、ちゃんと数字を打たなきゃいけないタイプのレジは、まだ早かった。怒涛の勢いでレジミスをした。従って、私のフォローしてくれる社員さんへの申し訳なさゲージは早くもカンストしていた。
しかし、私には愛があった。

意外なことに私は、帰宅ラッシュの嘘みたいな忙しさを超えてもなお、ミスを取り消したレシートが相当な厚みを持ってもなお、その場所から逃げ出したい、早く帰りたい、と一瞬でも思ったことはなかったのだ。そして私は、はたと考える。一体何故か。
それは、台湾カステラと、台湾カステラを買っていく人々に対して、愛おしさを感じていたからだと、1時間の休憩中に気づいた。

台湾カステラ、ご存知だろうか。
その名の通り台湾発祥のお菓子なのだが、日本で言うところの所謂”カステラ”とは大きく異なる。まず食感が違う。日本のカステラは、ふわふわしっとり、といった感じだが、
台湾カステラは、ふわふわを通り越してぷるぷる。とにかく、ふわっふわ、ぷるっぷる、なのだ。
そして味は、日本のものより甘さが控えめで、パクパクたべられてしまう。そのため、チョコや抹茶、チーズなど、いろいろな味付けにもそれぞれしっくりと合うのだ。
そして、どーんと大きい1箱売り。
美味しい。
加えて、見た目の素朴さも、小さく分けて売ることを許さないその大胆さも、私には魅力的に感じられた。と、言うより、自分に馴染むような親和性があった。自分と、台湾カステラの親和性である。

それを買っていく人々の心理もまた、可愛らしいと思った。お土産なのか、家族と食べるのか、友達か恋人か、はたまたひとりでじっくりと味わうのか。いずれにしても、こんなにも大きな台湾カステラを買うという行動そのものがわたしにはどうにも、愛おしく思えた。
ショーケースの前でじっと、カステラを見据えて、これ、賞味期限いつまでですか?、どの味がいちばんおすすめですか?、食感はどんな感じですか?、どんな飲み物と合いますか?、と、質問を投げかける人々の視線の真剣さ。質問をしなくても、その真摯さはよく伝わってきた。すると私もまた、その視線に答えたくて言葉を選ぶ。その人がそれを買っても買わなくても、ひとつのお菓子に対する人間の本気が、私は好きだと思えた。

初めてシフトに入ってから1週間ほどたったある日。社員さんに、中根さんは人類愛に溢れた人だね、としみじみと言われた。その社員さんもまた、素敵な人だったので、その時は素直に嬉しく思ったが、帰り道にひとりでゆっくり考えてみると、私が愛を持って接しているのは、台湾カステラを買ってゆく人に対してであって、それが人類全員に向けられた愛なのかというと、自信が持てなかった。

催事は2週間限定であった。
最終日に私は、シフトを終えてたまらず、お店の写真をたくさん撮った。社員さんとも一緒に撮った。もちろん手には、台湾カステラの入った紙袋。
なんだか分からないけれど、私はこの2週間のことを、おばあちゃんになっても忘れないだろうな、と思った。

旗揚げ公演の中止に始まった2022年。
6月には、3年間お世話になったYouTubeのお仕事との別れも決まり、
その他諸々、手を振ることしか出来ない日々が続いていた。
その流れを断ち切ったのが、台湾カステラだったように思う。
それ故の、台湾カステラ前、台湾カステラ後、である。
私の歴史の年表はもしかしたら、そのようにくくられるのかもしれない。

さまざまな巡り合わせに感謝しつつ、
今年中にもう一度台湾カステラを食べたいと、そう思う冬の夜である。

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