中根すあまの脳みその163

SNSを使ったコミュニケーションというのは、今では当たり前のことだ。
日常生活の中で幾重にも見栄と虚勢を重ねて生きている私としては、その中のやり取りも一切気が抜けない。
相手の顔が見えないやり取りだからこその、葛藤がそこにはあるのだ。

例えば、自分が今(心だけでも)笑顔でいることを伝える時。あなたはどう表現するだろうか。様々な選択肢がある今、文章だけではどうにも、そっけない印象を与えてしまう。
それは避けたい。そのような時、私の思考の中で思い浮かぶのは、

①笑
②w
③😂

主にこの3つだ。
私はいつもそこで一度考える。脳みその指示がなくともなめらかに画面をすべる指の動きを静止させて、考えるのだ。

①笑 「そうだよね笑」
中学生くらいのときまでは(笑)としていたような気がする。最近はわざわざ()に”笑”を入れる例は日常的なやり取りの中ではほぼ見られない。
私の基本スタイルがこれなのだが、個人的に
”笑”のビジュアルがあまり気に入らない。
語尾につけたときに、最後の文字と大きさや種類が変わらないそれは、なんだか、けじめがないような印象を与えるのだ。中途半端な感じがする。文章とそれに伴う感情を伝えるそれとは区切られるべきなのに、並列されているのがなにか、違和感を感じるのだ。
しかし、()を使う気はしない。
それに関しては、同調圧力だ。そこに抗えない自分を情けなく思う。

②w
そもそも、「〜で草」のような、某掲示板で生まれ、いつのまにかイマドキの若者用語に成り上がったその表現を使う気がありまりしない。それは私のだっせえプライドのせいでもあるのだが、そもそもこの表現の由来に納得できていないという事もある。私の性格上、納得できていない事柄は、自分のものとして発信できない。
そのくそつまらん信念のもと、なるべく”w”は使わないようにしているのだが、相手が”w”の使い手である場合、そのやり取りに統一感を出し、相手がこちらに対して一定の”絡みやすさ”を感じてもらうためにも、使うことがある。私は、自分のしょうもない信念より、相手の心地良さを優先できる人間でありたいと思っている。

③😂
私はそもそも、この手の絵文字が苦手である。それが、どのような感情の時に使うべきものであるのか、具体的な提示がなく、受け取り手に委ねられているからである。
「私はこういうつもりで送ったが、相手はそうは思っていなくて、認識に齟齬が生まれる」
そういったすれ違いが起こる可能性が否めないのだ。それ故に私は、「確実に伝わる」
と自信をもって判断できる時以外は、こういいった顔の絵文字は使わないようにしている。中でも😂は、人によっては不快感を覚える場合もあるらしい。ネットニュースかなにかで読んだその意見に一生囚われ、私は、この絵文字を、過去にそれを送ってきた相手にしか送れない。

結局のところ、私はどの表現方法にもあまり満足していない。なので、まず、そういった表現を施さなくても感情が伝わるような文章はつくれないものかと、一度考える。
文字を打って、主張する。
そういったことが当たり前になった現代ではあるが、そこには、実際に顔を合わせて行うコミュニケーションとは違った難しさがあり、特に私のような人間はそこに対して、考え、考え、考えることをやめられない。

人の感情とは完全には記号化できないものであり、それを限られた手段の中で的確に表現することは難しい。相手に対して誠実でありたいと、思えば思うほどにそうである。
だからと言って、直接会って伝えるのも下手くそなんだよな〜と、自分のコミュニケーション能力の限界を感じる、秋の夜である。

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