中根すあまの脳みその162

月に一度の事務所のネタ見せ。
何度かここで触れた覚えがあるが、武蔵小山の商店街をしばらく歩き、そこから少し逸れたところにある、稽古場で行われる。

なんだかんだといいながら、事務所に所属してからもう数年が経ち、ああでもこうでもないと嘆き続ける日常の中にはずっと、「月に一度のネタ見せ」という習慣が染み付いていた。はじめに言っておくが私は、ネタ見せがとても苦手である。ライブでは、上手くやれば、お客さんのあたたかな笑い声を聞くことができるが、ネタ見せでそれはない。あったとしても、作家さんや後ろで順番を待っている芸人たちの、ふっ、という息の音だけ(めちゃくちゃ嬉しいが)である。
ただでさえ、虚勢を張って、よく知らないラッパーの歌う「俺らがNO.1」みたいな歌詞の曲や、クラブでイケイケな人間たちが踊り狂うためにつくられた頭空っぽEDMを爆音できいて神経を麻痺させないと、舞台に上がれない私である。しんと静まり返った部屋で、ネタを分析するためにそこにいる人間たちの前で自分のネタをするのは、かなり勇気のいることだった。私はだから、お笑いが苦手だ。

だからこそ、ネタ見せが終わったあとというのは、天にも登るような気持ちだ。さっきまで、地獄へ続く道のりのように感じられていた商店街が、急に輝きをおび、一転、天国への道のりにしか見えなくなる。そこに様々な店があったということに、そこで初めて気づくのだ。稽古場に向かっている時には、終わったら早く帰ろ早く帰ろ早く帰ろ早く帰ろ早く帰ろ早く帰ろ早く帰ろ早く帰ろ早く帰ろ早く帰ろ、と心の中で呪文のように唱えていたことなどすっかり忘れ果て、そこに並ぶすべての商品たちが新しく、魅力的に見える。

派手なおばちゃんがやっている洋服屋さん。
思わぬ掘り出し物がある。この前は、ふわふわのくまさんがくっついたショルダーバッグが、1000円弱で売っていた。その日は蒸し暑く、ふわふわをみるだけでしんどかったので買うの断念したけど、今日はもうだいぶ涼しいし、買ってもいいかもしれない。
えー、かわいい。このでかいお花のヘアピン330円?!こういうの普通、1500円くらいするよね。くまさんは、もういない。残念だが私の心は、デカ花ヘアピンで十分満足している。迷わず向かうレジでは、おばちゃんが化粧を褒めてくれた。

コロナ禍に入ってマスク屋さんに変貌してしまった、雑貨屋さん。少し寂しく思っていたけれど、よく見ると売っているのはマスクだけではない。個性的なバッグや財布が1000円以下で売っている。この歳になると、周りの人間は、ハイブランドのバッグや財布を使い始める。同年代の友人と食事をし、会計の時に財布を取り出す、その瞬間に視線がブランドのロゴを探しているのが分かるのだ。その争いから潔く身を引くべく私は、あえて”論外”なものを使うようにしている。それは、あからさまなキャラクター商品であったり、無名のノーブランド品であったり、そもそもその用途でないもの(子供がお弁当箱を入れる巾着など)をそれとして使っていたり、相手の戦意を和やかに喪失させるための作戦を常日頃決行しているのだが、そのお店には、そんな私にぴったりの、謎ノーブランド品が並んでいた。ただ、勘違いしないでほしい、ちゃんとかわいいのだ。そして安っぽくもない。いや、それは言いすぎた、多少の安っぽさが尚、良いと言った方が正しいだろうか。
そういう人間になりたいと、私は思う。

所謂、”ガチャガチャ”も商店街には、ある。ご存知だろうか、一部の人間のあいだで今、ガチャガチャブームが到来している。毎日のように新商品が登場しては、売り切れが続出しているのだ。しかし、そこには、そんな人気商品たちも所狭しとならんでいた。もちろん、機械の中にはてらてらと輝くカプセルたちが、押し合い圧し合い。その光景(と、ネタ見せ後の開放感)に負けて、普段は、どうせちゃんと保管できないので実用性のないガチャガチャはやらない、と、固い意思を貫いている(貫けない時もある)私だが、その日ばかりは、気づけば回していた。それは夢なのだ。夢を手に入れるために、回していた。ガチャガチャを。

最終目的は、宝探しの地、モードオフ。
普段から私のことを気にしてくれている人は、またその話かと思うかもしれないが、改めて言わせてもらおう。
武蔵小山のモードオフは、お宝ざっくざく、海賊たちもびっくりな、伝説の場所なのである。私はこの伝説を後世に語り継ぐと決めている。
その場所でお宝は待っているのだ。いつだって、私のことを。私はいついかなる時も神のお告げに忠実に、見つけた宝は逃すまいとしているが、この調子では近いうちに、私のクローゼットはモードオフ武蔵小山パルム店に支配されてしまうだろう。
同じモードオフでも地域によって品揃えの善し悪しが違う。ということは、あれだろうか、私は、武蔵小山に暮らす人々との親和性が高いのだろうか。

昔ながらの形を保った書店。
やたらでかいダイソー。
向かい合わせのばっちばちドラッグストア。
駅ビルの中には、人への誕生日プレゼントはだいたいここで買っている便利な雑貨屋さん(地元にもある、大好き、ファンです)、意味もなくバームクーヘンを買ってしまう無印良品。
語ろうと思えば、いくらでも語れてしまうほどに私は、この場所に愛着を持っているのだということに気づく。気づけば、まったく知らない赤の他人から、忘れた宿題を見せてくれるクラスメイトくらいには距離が縮まっていた。
親友です!!
とは言わぬのには意味がある。
家から、往復2000円かかる。高い。そして、乗り換えが多い。面倒くさい。
宿題を見せてくれる代わりに、おやつの芋けんぴ代はなんだかんだいつも私が出している。そんな関係性である。

憎き武蔵小山。
愛しき武蔵小山。

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