中根すあまの脳みその201

渋谷駅前。
ピッピッピッピっと規則的に響く交通整理の笛の音は、夏のプールの授業を彷彿とさせる。
目の前に広がる景色は殺伐としているのに、ふと、刺激的で懐かしい塩素の匂いが鼻先を掠めた気がした。プールから上がった後、授業中に襲われた抗い難い強烈な眠気までも、近くにあるようである。

私には中学1年生の妹がいる。
プールの授業が始まると言って、授業時間が短いだとか、授業時間が短すぎるからもうそれはプールの授業ではなく“着替え”の授業だとか、プールに入っている時間より着替えている時間の方が長いだとか、同じような内容の文句を繰り返し叫んでいたのがここ数日の話である。私もそれは大いに共感できた。と、言うか、同じことを口にしていた記憶がある。
ある日、自室からリビングへ向かう階段を下りていると母親に声をかけられる。
プールバッグとして使えそうな鞄を持っていないか、ということだった。
プールバッグ。
大人になってから触れることのなかった概念。
独特の質感のビニール生地。描かれているのはお気に入りのキャラクター。
本当は着たくなかったスクール水着、でかでかと名字が書かれたオレンジ色の水泳帽、
着用するのに先生の許可が必要だったゴーグル、そして、奇跡の合理性を兼ね備えた、お着替え用のタオル。それら一式が入った、あの、プールバッグ。
別に、プールの授業に特別な思いでがあるわけではないが、その懐かしさに胸がきゅんとなった。
しかしまあ、プールバッグの代わりになるものなど、私の散らかった部屋にはなかったはず。
母親は、私の部屋をガラクタ倉庫だと思っている節がある。否定はできないのだが。
その旨を伝えると、いやなんでもいい、ある程度の大きさがあればトートバッグとかでも、と言う。
えーーーー。そんなの、あれがないよ、あれが。ロマンが。
プールバッグは如何にもプールバッグ然としていないと、テンション上がらないでしょうに。
最近の中学生はなに、プールにもお洒落トートバッグ持ってっちゃうわけ。
ジェネレーションギャップだとか言って大騒ぎする大人のことは分からないと思っていたが、近頃、分かるようになってきた実感があり、悲しい。
そこまで思い立ったあとでよくよく考えてみると、件のプールバッグを使っていたのは小学生の頃のみだった気がする。
だからといって、では、中学生がどのようなものを使っていたのかは覚えていないのだが。
ジェネレーションギャップハラスメント(この言葉は今つくりました)、回避ということにしておく。

私は自室に戻ると、そこら辺に散乱したものの山からトートバッグを引っ張り出した。
パックの豆乳のあの、例の柄が描かれた、デザイン性の溢れるトートバッグだ。
豆乳の味は嫌いだが、あのデザインは好きだ。趣深い。
サイズ感もちょうどよく、ある程度丈夫で、使い勝手は良いように思われた。
こんなのどうーーーーーー、そう言いながら階段を勢いよく下りる。
母親に提示したとき、急に、私よりずっと世の中を上手に渡っているらしい、そんな気配を漂わせている、我が妹に使わせるにはそれは少々奇天烈が過ぎるのではないかと不安になった。
豆乳の柄が原因でいじめられでもしたら私はもう、中根家の敷居を跨げない。
ま、まあね、あの人が使うって言ったら使えばいいよ、変な……柄だしさ、そういう感じじゃないと思うしあの人は、くれぐれも無理しないで……ね、もごもごと念を押して、私はその場を後にした。
きっと、使わないだろう。
そう思って翌日、本人に確認すると彼女はさらっと、今日持ってったよ、と言う。
しかも、かわいいと友達に褒められたそうだ。
ほう。
初めて妹の中に私の“血”を感じた、夏の日であった。

渋谷駅前では、笛の音で人々の流れをつくりだしている。
さながら、みんなで一斉にプールの中を歩いてつくる、あの、流れるプールである。
私は愉快な気持ちでその様を眺めていた。

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