中根すあまの脳みその181

バイト先の商業施設にはストリートピアノがある。
建物の中にある場合でも、"ストリート"ピアノと呼んでいいのか些か疑問ではあるが、まあ要するに、誰でも自由に弾くことのできる、開放されたピアノということである。
とはいっても、平日に人が弾いているところはみたことがない。いつも自動演奏だ。鍵盤だけがひとりでに動き、煌びやかな音楽が奏でられる様は、さながらホーンテッドマンションに置かれたピアノ、または、アダムスファミリーの住む館に置かれたピアノのようである。その建物自体が、バブル期に調子に乗ってつくったのだろう、無駄に華やかなつくりになっていて、尚且つ寂れているので、不気味なピアノの自動演奏ととてもよく合っている。

休日には、朝から個性豊かなピアニストが、そのピアノで小さな演奏会を開く。
開店直後は決まって、ラプソディーインブルー。奥深く、豊かな音色で、ガラクタまみれの店内で過ごす憂鬱な朝を、少しだけ前向きなものにしてくれる。あまりにも素敵な演奏なので、暇な店内を抜け出してピアニストの姿を確認しに行ったことがある。ロマンスグレーのお洒落な紳士だった。ロマンスグレーという表現をすると、一気に男性作家の書く刑事小説の雰囲気が出るような気がするのは私だけだろうか。

彼が去ったような気配がしたあとで、きこえてくるのはトルコ行進曲。迫力のある演奏である。この曲は最後、JPOPでいうところのCメロ的な概念で、超絶盛り上がるフレーズがある。幼い頃、なにかの機会でこの曲をきいたとき、そのフレーズがあまりにも胸熱で、ぶち上がった記憶がある。もしも、ピアノが弾けたなら(西田敏行みたいになった)、この曲のこのフレーズを力いっぱい弾いてみたいと思う。

昼過ぎになると、選曲に若さが感じられるようになる。最近人気の、己の可愛さによって他者に与えてしまう影響があまりにも大きいことを、嬉々として謝罪するあの曲が、弾むようなテンポできこえてくる。
私は好きだ。私も、朝、身支度を終えた己の姿を鏡で見て、思わず、謝ってしまうことがある。気持ちがよく分かる。ただ、サビの最後の「ざまあ」だけが許せない。その部分をきくたびに「なんでそゆこというの!!」と思う。わざわざ人を傷つける意味などあっただろうか。

夕方になって、しっとりと響くのは物悲しげなメロディ。どこか懐かしさも感じられる。
そう、幼稚園の卒園式で歌ったあの曲なのだ。2曲目もまた、寂しさの中に決意が滲む、感動的なメロディ。これもまた、幼稚園の卒園式で歌った。私と同年代で、幼稚園や保育園に通った過去を持つ人間であれば、誰でもあの頃に思いを馳せてしまうだろう。

たくさんのまいにちを
ここですごしてきたね
なんどわらって なんどないて
なんどかぜをひいて

思わず歌詞を調べ、その純度100%の文字たちに、今の己の荒んだ心を恥じた。
そのピアニストはきっと、幼稚園の先生なんだろう。
家にピアノがなくて、休日はこのピアノで練習をしているといったところか。
時期的にも納得出来る。
曲が終わって、拍手が聞こえてくる。
多くの大人たちがあの頃を思い出し、少しだけ前を向いたような、気配がした。

このように、休日はいつも、個性的なピアニストたちに彩られた優雅な1日をおくることができるのだ。
そう、うちのお店にお客さんが少ないから、ね。

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