中根すあまの脳みその101

冷房が効きすぎた空間には逃げ場がない。
心地よい涼しさが、内蔵をしんしんと冷やすような寒さへと変化する頃、私は自分の置かれている状況に混乱する。殺人的な暑さを凌ぐ命綱のような存在である冷房が、またもや私を殺しにかかっているのだ。本来敵対しているはずの熱気と冷気が、私を弱らせるという共通の意志をもつことによって共鳴している。急激に下がる体温。暑さに備えて露出した腕や足が、まるで呼吸をやめてしばらく経った人間のように冷えきっている。己の肉体であるような気がしない。凍える肉体と精神とが乖離しているような感覚。きっと人の手でつくられた無機質な涼しさがそうさせているのだろう。

ああ、私はこれまでに一体いくつの過ちを重ねてきたのだろうか。冷房が当たりにくい場所、電車であれば弱冷房車、教室であれば頭上にあるエアコンからできるだけ遠い席、を選ぶことは十分に可能なのに、太陽の本気に打ちのめされた体では、その判断をすることができない。だからといって、大幅な移動をすることもできない。ただ、己の判断を憎み、よそよそしく冷えていく肉体を眺めながら、解放の時を待つことしか出来ないのだ。

ただの寒さではない。機械仕掛けのその「涼」は、人間に対して容赦がない。血も涙もない。その冷徹な仕事ぶりで仮に人間が凍え死のうとも、なんにもない、ひとつの同情も反省もない、といった顔をしている。
冬の寒さであれば、もっと優しい。寒さの中にあたたかさが、趣がある。「寒いね」と言う人々の表情は困ったようでいながらも、なんとなく嬉しいような色が滲む。しかし、機械がもたらす寒さはそのように風流ではない。
そこにいる人間の、骨の髄まで丁寧に冷やしていくだけである。

猛暑と冷房は敵対しているようでいて、実は仲良しなのかもしれない。人間の気力と体力を奪い去るという目的のもとで、彼らの絆は強く結ばれているようだ。とことん火照らせて、とことん冷やす、チームワークが良くないと繰り出せない攻撃である。それぞれが己に課せられた仕事を完璧にこなすから、私など戦闘力の弱い人間はあっという間に打ち負かされてしまう。悔しい。
だからといって、薄手の上着を用意するのはハンデを許されているようで気に入らないのだ。夏の暑さも冷房の涼しさも嫌いじゃないから、それぞれがもう少し人類と仲良くしてほしいと願う、夏の今日である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?