中根すあまの脳みその250

息を吸うこと。
ただ、それだけで全てが解決するような気がしている。
周りに目を向ければ向けるほど、時間は己のものではなくなり、通り過ぎる他人に奪い去られてしまう。
残ったのは、おどおどと立ち尽くす自分だけ。
息を吸うと、時間が自分のものになる。
自分のために流れる時間になる。
その状態を保つことができる人こそが強いのだと、そんなことを思う。

それを分かっていて、息なんて吸いたくないと思うこともある。
そんな簡単にこの憂鬱がなくなってしまったら、憂鬱に心を使っていた自分が馬鹿みたいだ。歯を食いしばって、深呼吸が出来ないようにする。
その姿を見ていたもうひとりの自分が、それを可笑しいと笑い、それにつられて笑った瞬間、
空気が肺に取り込まれる。
不覚にも元気になってしまっている自分に、また、笑う。
憂鬱など脆い。

息が吸えてしまえば、それでいい。
なんだってできる。
しかし、それがむずかしい。
人間、噛み締めたいのに、噛み締められないことが多すぎる。
だいたい、後になってそのことに気づき、血を吐くように後悔をする。
その繰り返し。
小学生の頃に、忘れ物をしないように手の甲に書いた黒いマッキーペンの字のように、正しい生き方を刻みつけてしまいたい。
あたかもお洒落なタトゥーのような顔をした、
”息を吸いなさい”の文字。

噛み締めて噛み締めて、唇の色が赤黒く変わってしまった時、人は後悔をしなくなるのだろうか。
否、人はまたすぐに、己の思考の範囲内では太刀打ちできない出来事に出くわす。
そしてまた、後悔をする。
凝りもせず、繰り返すのだ。

深夜に何かが食べたくなったら、一旦息を吸えばいい。
空気が肺に入れば、だんだんと視野が広がり、今はやめておいた方が良いことに気づけるはずだ。
しかし、空腹はいつだって新鮮に、己から理性を奪ってゆく。息を吸う、そんな簡単なことが思いつかないほどに、心を乱してゆく。

フライパンを抱きかかえるようにして啜る、味の濃い麺。
これ以上の幸福はないとばかりに、全身がよろこびに打ち震えている。
翌朝、頬の浮腫とともにやってくる後悔に耐える準備もできぬままに夢を見る。

息を吸うこと。
ただ、それだけで全てが解決するような気がしている。
うまく息が吸えるかは、別として。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?