中根すあまの脳みその159
夢の国へ行った。
私は、夢の国やそこに住んでいる(住んではいないのか?)キャラクターたちにあまり関心を持たないまま生きてきたため、10代の頃は、家族が行くと言っているから、友達に誘われたから、というような消極的な理由で夢の国に出入りしていた。
しかし、自分が演劇や映画といったものをつくりたいと思うようになり、一貫した世界観をつくりあげるという事の難しさを痛感してからというもの、あれだけ巨大な空間をとことんつくりこみ、客に、あたかも異次元空間に来てしまったかのように錯覚させる某夢の国の凄さに興味を持たざるを得なくなった。
ここからは、夢の国圧倒的初心者、"初めて地球にきた宇宙人が書く地球の感想"みたいな感じで読んでいただければと思う。
10代の頃、
パレードというものの良さが分からなかった。ショーならまだしも、キャラクターたちがどデカい過度に派手な乗り物に乗って、移動をするだけではないか。移動を見せられても…。と、失礼極まりないことをこっそり思っていたのだが、今ならその良さが痛いくらいによく分かる。
まず感動するのは音楽。
現在昼に行われているパレード、『ドリーミング・アップ』。そのBGMが、これはもう、どう言葉に表したらいいか分からないのだが、とにかく"夢"なのだ。なにがどう夢なのか、説明したいが難しい。(ここからは私の語彙力のなさも含めて楽しんでいただきたいのだが)一聴すると、チャラめの洋楽のような雰囲気なのだが、その中に豊かな管楽器やストリングスが、まるでサーティーワンのキャラメルリボンの"リボン"の部分のように(個人のイメージです)織り交ぜられ、それらが合わさることによって"夢"感が演出されている。ここで言う"夢"とは、眠っているときに見る方ではなく、憧れや願いの方の、"夢"であるが、それがどうだろう、眠る方の夢をテーマにした作品に登場するキャラクターが通過する時、曲のアレンジが変化し、眠る方の"夢"感も加えられる。たとえば、某有名くまさんや、某不思議の国迷い込み少女などだ。通過するキャラクターに合わせて曲に新たな色彩が加えられるのも魅力のひとつだろう。
音楽の魅力もさることながら、登場するキャラクターたちの魅力も半端ない。キャラクターが、というより、(夢のないことを言ってごめんなさい)演じている人が凄い。
まず、人間そのものを演じている場合。
アニメーションでつくられたキャラクターだ。それを3Dで再現するなんてとんでもない難易度だろう。その魅力が激減する危険性は十分に考えられる。それなのにどうだろう、その魅力は減るどころが倍増している。初心者の私には馴染みのないキャラクターでも、思わず見蕩れてしまうような魅力がそこにはある。一体どのような指示を出せば、このような2次元プリンセスが3次元に誕生するというのだろうか。
着ぐるみ(ごめんなさい)にもそれは言える。人間が演じている(ごめんなさい)はずなのに、佇まいがそのキャラクターの個性を完全に再現し、人間以外の存在としてそこに居るのだ。一番感心するのは某有名くまさん。動きが他のキャラクターと比べて0.5秒遅い。それがどうにもたまらない。
話が逸れるが、某有名くまさんについて、私が長年思っていることを。
彼が主役の蜂蜜を探すアトラクションだが、両親によると、私は幼い頃、アトラクション乗車中ずっと号泣していたらしい。
確かに今でも、夢の中の場面は狂気に満ちていて、独特の恐怖を感じる。その反面、その場面のBGMのカッコ良さは凄まじく、さらに色彩の使い方も面白く、今の私にとっては大好物である。
しかし、あの場面はどう考えても、某有名くまさんがアブナイ中毒症状に見舞われているとしか思えない。それなのに、大きな絵本が閉じるのと同時に、物語は平和に終わりを迎える。めでたしめでたし感満載のその終わり方に私はいつも、いや、そうならんやろ!と思ってしまう。
だから、私はそのアトラクションが好きなのだが。
話は戻り、パレードに登場するキャラクターたちには皆、人々をメロメロにする特殊能力がある。
魔法使いのおばあさんのキャラクターが、小さい子どもに向かってステッキを回し、魔法をかけている姿をみたときには、危うく涙を零しかけた。
夢の国へ訪れる度にパレードへの憧れは募るばかり。
いつかパレード形式の劇をやってみたいと思う今日この頃であった。
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