中根すあまの脳みその84


「おでん」という料理について考えたことがあるだろうか。
春の到来を思わせるような麗らかな日々が続く今日この頃、冬を連想させる料理の代表格とも言えるであろう、おでんの話をするのはいささか的外れなような気もするが、まだ朝と夜には冬の気配が残っていることに免じて、許してやってほしい。

そもそもおでんとは、日本の煮物料理、鍋料理の一種であり、昆布や鰹節でとった出汁に、「おでん種」と呼ばれる種類様々な食材を入れ、長時間煮込んだ料理のことを指す。
おでん種の定番といえば、一般的に大根、さつまあげ、はんぺん、ちくわ、ゆで卵、蒟蒻などであるが、これらはごく一部にすぎず
、地域や家庭によってかなりばらつきがあるらしい。

ここで、おでんの味について考えたい。
おでんの味を想像してください、と言われれば誰もがある程度、その味を想像できるだろう。出汁の風味と、食材から染み出たうま味とが絶妙に混ざり合い、ひとつの味わいをつくりだす。これが、おでんの味である。
同じ鍋で煮込まれた同士が手を取り合い、「おでん」というひとつの料理を完成させるべく団結する。おでんの味、美味しさというのはすなわち、食材たちの「調和」である。
各々が、自分の持てる力を最大限発揮しつつ、誰かひとりが目立ったり、控えめすぎたりすることはない。常に鍋の様子に注意を払い、周りの食材たちとコミュニケーションを取り、十人十色のうま味を、ひとつのうま味に集結させる。完全に団体戦。これだけ、食材たちの団結力が試される料理など、他に存在するだろう。

そして不思議なのが、おでんという料理は、参加メンバーが一定ではないのにも関わらず、おでんの味がおでんの味として確立していることである。前述の通り、おでんは地域や家庭によって加えられる食材の種類が変わってくる。これは、食材たちにとってかなり不利な状況であると言えよう。
人と人に相性があるように、食材と食材にも相性がある。料理をする際には、毎回決まった、相性が良い食材たちが集められることが多い。だが、おでんは違う。地域や家庭によよって参加メンバーが異なることはもちろん、じゃがいもが余ってるからいれよう、だとか、ごぼう天が安いじゃいれよう、だとか、時と場合によって急な予定変更はよくあることである。それは、人々のなかに明確な「おでん種」の定義が存在しないからであり、定番メンバーが何人か揃っていれば、あとは何が欠けようと加わろうと、なんとかなるだろうという認識が広く持たれているからであるだろう。

正直、人々が持つおでんへの認識は緩すぎる。それなのに、食材たちはいつだって、私たちが納得するようなおでんの味をつくりあげてくれる。
本来であれば、食材が違っていれば全体の味も違ってくるはずなのだ。それなのに、我が家のおでんも、祖父母の家のおでんも、コンビニのおでんも、屋台のおでんも、安定して同じ、心安らぐ味わいであるのは、他でもない食材たちの努力のおかげだ。彼らが団結して、おでんの味を守り続けているからなのだ。

おでんの種のなかで、どれがいちばん好き?
そんな質問をされたとき、私は迷わずこう答えるのだ。
鍋の中に存在する、すべての食材たちであると。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?