中根すあまの脳みその82

最近、右目から涙が出る。
疲れ目なのか、花粉症なのか、原因は定かではないが、とにかく右目からだけ、涙が出る。
痛みや痒みなどの症状は一切ないし、もちろん悲しかったり、嬉しかったりするわけでもない。
無意識のうちに、涙がでるのだ。それも絶え間なく。

これは私にとって、突拍子もないことではない。
幼い頃から、無意識のうちに流れた謎の涙が目尻を濡らすことはよくあった。日常であった。
物心つく前から当たり前に起こっていた現象であったため、とくに深くは考えず、眠いのかな~、と適当な理由をつけて、片付けていた。
年を重ねるにつれて、この現象はきっと、多くの人々が日常の中でなんとなく体験している「あるある」に類するものだろうと認識していった。他人に話すほどのことではないけれども、話したら誰もが、分かる~と共感してくれるだろう、そう勝手に思い込んでいた。
高校生になると、私は自分の目に化粧を施すようになった。重い一重瞼をのりで貼り付け、アイラインで目の大きさを拡張する、大規模なものだ。ただでさえ、初めのうちは勝手がわからず失敗ばかりしていたのに、そこに謎の涙が加わるとあっという間に化粧は崩れた。この時私は、初めてこの現象を心から憎いと思った。あんなに時間をかけてつくりあげたものが、こんなにも簡単に壊されてしまうなんて。理不尽、という言葉の意味を全身で噛みしめた。
憎しみは人と共有したくなる。辛い出来事に対して、共感、同情、励ましを求めてしまうのは人間の性だ。私は、謎の涙について、初めて人に話した。するとその人は、「え?涙?なにそれ(笑)」と首を傾げて軽くあしらった。その後何人かに話したが、どの人からも、共感や同情、そして励ましは得られなかった。みんな冗談半分で、私の悲痛な叫びを受け止めてくれない。私は、この現象が多くの人に起こるものではないことを、認識した。
化粧をすることに慣れてくると、自分に合った化粧品がどのようなものか、分かるようになった。
汗や涙による崩れに強い化粧品だけを選び、愛用するようになってから、謎の涙による被害はほぼ100%抑えられた。憎しみは消え去り、その存在についてなにかを感じることも少しずつなくなっていった。平和で穏やかな日が、あの理不尽な仕打ちをも忘れるほどに、続いていった。

そして、今。
私の目尻は毎日大洪水に見舞われ、その甚大な被害に悩まされる日々を送っている。
不可解なのは、その被害が右目だけに集中していること。長時間におよぶ降雨により、愛用していた化粧品もなすすべもなく降参し、私はもう崩壊していく様を見守ることしかできない。鏡をみると、右目のアイシャドウは綺麗さっぱり落ち、にじんだアイラインが目尻を黒く汚している。悲しみの涙で、被害を増幅させてしまいそうになるのを、私は必死に堪える。
瞼をのりで貼り付けてしまっているため、大幅な改修工事を行うことは難しい。握りこんだ拳をわなわなと震わせながら、私は、“左目だけ化粧している人”として生きていく覚悟を決めた。
人生とは、理不尽の連続だ。今ある理不尽を乗り越えると、また新しい理不尽がやってくる。平穏な日々など、永遠には続かないのだ。私はそう己に言い聞かすと、空を見上げた。
ああ、今日もいい天気だ。よし、眼科に行こう。

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