中根すあまの脳みその144

ガタン、プシュー。

電車が止まった瞬間から、それは始まる。
私は約1時間半の間怠けていた体を奮い立たせ、立ち上がる。
イヤフォンからは大音量のEDM。
夏、真っ黒に日焼けした若者たちが海で、この世界こそが俺らのスピーカーだ、とでもいうように爆音でぶちかましているあの曲だ。別に、この目でみたわけではないが。
とにもかくにも今の私には、そういった遊び人たちのマインドが必要なのである。イヤフォンから流れ込んでくる音楽は、まるで麻薬のように脳を麻痺させてゆく。そう、正気のままでは、この局面は切り抜けることができないのだ。

毎週水曜日は9時から授業がある。
私の家から学校まで1時間半はかかるので、この場合の起床時間は6時。
さすがに早すぎる、という悲痛なる叫びは一旦置いておいて、今回ここでしたいのは、駅から教室までの移動時間についての話だ。
急いで10分。
気を抜くと15分。考え事をしていると20分。
急ぎたくない私は、できるだけ余裕を持って駅に着くよう努めるが、水曜日だけはそれが叶わない。なぜなら、私は神奈川県の僻地に住んでいるからだ。電車は私の味方ではない。哀れな私には、授業開始時刻の10分前着か1時間前着の、ふたつの選択肢しか用意されていない。しかし、1時間前着のほうを選ぶと私は5時に起きなければならない。苦渋の決断。その結果私は、朝から爆音のEDMでドーピングするに至ったのだ。

ドアが開き切る前に飛び出す。
ずんずんという擬音がしっくりくるような力強い歩調でホームを進み左手に見えるスターバックスで優雅にコーヒーを啜るお姉さんに心の中でおはようございますと挨拶をしつつエスカレーターに足を踏み入れ右側にずれたあとでおむすびころりんさながら坂を下りそこからまたずんずんとホームをすすんでいくと到着した電車から人の波がすべてを飲み込むように流れ込んでくるので強い意志を持ってそれをかわしながらちゃっかりホーム中央に設置された鏡(なんで地下鉄のホームに鏡があるのか知ってますか私は知ってるんですよ知りたいですかごめんなさい今急いでいるので)で身だしなみをチェックし残像でそれを確認しながらずんずんずんずん電光掲示板をチラ見すると時刻は8時51分見えてきた上りの階段とエスカレーターどっちで行くか、51分だからまあ、エスカレーターで行こう。

それにしても。
さっきわざわざ降りたのに、なんでまた、登らなくてはならないのか。
なんの意味もないその行動をみて、嘲笑っている巨大な存在を感じる。

つかの間の休息を終え未だかつて無いほどのスピードで改札をぬけ同士らしき数人とともに無限エスカレーターへと突入突破しても突破しても続くエスカレーターのぼりきってものぼりきっても終わりがないまるでこの世とあの世をつなぐエスカレーターのようだおそらくこの世とあの世をつなぐのはエスカレーターではないがようやく見えた地上ひとつ息を着く。

暇はない。
同士たちは走っている。

私の計算によるとまだ走るほどの切羽詰まった状況ではないしかしその様子をみていると捉えようのない不安に駆られる人間とは弱い生き物だ走る走る走る建物に入っても安心はできない。

待ち受けるのは、階段。
この階段はどんな状況であれ強制的にのぼらされる。まさに教育。私たちはそれに抗うことが出来ない。

これはもう間に合わないのではないか。
絶え間なく歩みを進めていく中で、絶望と不安がその場を支配していくのがわかる。
ふわふわのワンピース、ぶかぶかのパーカー、ぴちぴちのTシャツ。姿かたち思想の違う私たちだが、目的は同じ、そう、遅刻を回避すること。だが、同士たちの顔は沈んでいる。
しかし、その場で私だけが両足でしっかりと立っている。
携帯の電源を入れ時刻を確認する。
8時57分。
いける。
みんな、私を信じてくれ。

勝利を確信した私は徐々に歩調を緩めた。
すると、それに気づいた同士たちも、少しずつ余裕を取り戻していく。

座った状態でチャイムを聞けることがどんなに幸せか。
戦いぬいた己を己で称え、やっと新しい1日を迎えるのである。

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